Neetel Inside 文芸新都
表紙

電装少女の恋と空。
【1】電装少女

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――【CONNECTION.with.YOU】――

 十四歳の御園愛花(みそのあいか)は、彼女の先輩であり、上官でもある赤城鳴海(あかしろなるみ)と『交配』する予定だった。
 それは『電装少女』と呼ばれる二人が、現実と『電糸世界』を行き来する存在を確実に産みだすべく、赤い遺伝糸【Plag_CODE】を交換しあう行為のことだ。
 それは哺乳類の性行為――「子づくり」と呼ばれるものとは異なる点も多々あったが、人間の倫理的側面からみるに、とても微妙な、灰色的な空間に属していた。

 我らがお国のために『交配』せよ。との通知書が学園より届けられた時、愛花は年齢による拒否権も行使できた。断らなかったのは、愛花の母親が『子供』を望んでいたからである。

 そこには『愛』なんてなくて。
 義務で。きっと、相手もそう思っていると信じてた。

 ――【CONNECTION.to->World.REAL】――

 夜明け前。
 御園愛花の意識は、現実世界と再接続された。
「…………ふぇ?」
 目覚めたのは、とある宿の一室だ。天井に浮かぶ橙色の灯が淡く照らす中、ぼんやり瞬いた。部屋に取りつけられた空調からは、服を着ていない肌にちょうど良い風が断続的に排出されている。
「起きたか」
 静かな声。感情を窺わせない声だった。
「気分はどうだ」
 西の『欧羅(おうら)』式の寝具に横たわる愛花の隣、壁に背を預けた姿勢で半透明の情報素子を操作している。年上の女性。
「あ、れ……?」
「愛花、私は〝気分はどうだ〟と聞いているんだがな」
「……! は、いっ、あ、その……っ!」
「起き上がろうとするな。むしろ起きるな」
「も、もうしわけっ、あ、あ、あの……っ、わたし!」
「三度目だ。気分はどうだ」
「…………だ、だいじょう、いえっ、問題ありませんっ」
「ならよし」
 言ってほんのわずかに顎を引く。頷いた、という動作すら一見にして不明瞭な女性は、相変わらず愛花に視線を向けず、目前に並ぶ、情報素子を指で操作しながら問いかける。
「覚えているか。おまえは、行為の最中で気絶したんだ」
 真冬に握った氷のように冷たい声。事実だけを伝えるように、淡々と発信。
「現実世界、昨日の午後十時だ。我々はこの場で予定どおり『電糸世界』に没入【Dive】し、共有領域にて『交配』を開始した。ここまでは覚えているな?」
「……え、えぇと、はい……」
「私が『雄型』で、おまえが『雌型』だ。領域内で、私が遺伝子【Plug_CODE】を挿入しかけたところで、深層域から警告が生じたのを確認した。――結果、私は弾きだされたわけだが。異論ないな?」
 最後の一言は明らかな嫌味、あるいは侮蔑。
「あの、赤城先輩……っ!」
「だから、起きあがるなと言っている。あと私を見るな。割と不快だ」
「……ぅ」
 愛花が反射的に身を起こそうとしたのを咎め、女性――赤城鳴海は、表示していた情報素子を閉ざし、ようやく首を横に動かした。
 おそらく怒っていた。
 現在の表情が、平常時を意味する表情筋でなければ怒っていた。
「私のことが嫌いか、愛花?」
 端正に整った顔立ちと、切れ長の瞳。短くそろえた髪は、愛花と同じく『倭国(わこく)』の人種特有の黒に染まっているが、瞳は紅玉の如くに燃える色を宿す。その瞳よりもずっと優しい灯りの下、照らされた裸体は、彫像のように均整がとれて美しかった。
「私のことが嫌いなら、きちんと言え」
 そして、やっぱり怒っていた。
 北極点の絶対零度もかくや、というほどに凄みのある声だ。
「……ぁ、あ、あの、そにょぅ……」
愛花は横になったまま、なんとも様にならない体制で、もごもごと謝罪の言葉を探すしかない。
「やはり、私ではダメなのか……?」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
 しかし鳴海は、不意に「ぽん」と、愛花の頭に手を乗せた。
「現在は、午前三時五分。『交配』の結果については学園の方に連絡を入れておいたから、気にせずに寝ろ。私も眠る」
「……あっ、あのっ、赤城……鳴海さんっ!」
 大きな手を退けて起きあがる。愛花の黒い瞳はまっすぐ、鳴海の紅い瞳を見つめていた。
「申し訳ありませんでしたっ!」
「……処罰のことを心配しているなら問題ない。最初の一回で『誕生』しないことは、よくあることだと聞いている」
「それでも、申し訳ありませんでしたっ!」
 両手を添えて、きちんと頭を下げる。
「この度は私の不手際で、先輩の遺伝子【Plag_CODE】を、私の身に宿すというお役目を果たせず、本当に面目ありませんっ!」
「だから気にするな。なんども言わすな」
「で、でもっ!」
「……なら、今から『交配』のやりなおしをするか?」
「え」
 愛花が顔を上げると、鳴海は変わらずの無表情。
 本気とも冗談ともつかない表情で淡々と言う。
「答えろ。私ともう一度、したいか?」
「え、えぇと、あの……そのぅ……」
「気が乗らんようだな」
「ち、違いますっ! そういうわけではなくて……っ」
「感じすぎて、また気絶しそうか?」
「はうっ!?」
 一瞬で。愛花の顔が朱に染まる。その態度を間近に見て、鳴海の口元にも初めて笑みが咲いていた。くつくつと、見ようによっては邪悪に笑い、
「単純だな。そういうところは、瑞麗によく似ている」
「……あ、あの、お姉ちゃんは別に……」
「すまない、軽率だった」
「い、いえそのっ! あの、えぇと……。私こそごめんなさい……」
「謝らなくていい」
 苦笑する。片手が泳いで頬に乗る。
「なぁ」
「……はい?」
 それから年上の女性は、三つ下の彼女に。とても素直な気持ちを囁いた。
「私は、愛花が好きだ」
 唇がほんの少し触れて、舌先でなぞり、そっと離れる。
「……私の子を宿らせるのも悪くない、と想うぐらいには、愛しい」
「鳴海さん……」
「だが、おまえが嫌だというなら、無理強いはしない」
 ゆらゆらと、鳴海の背と尻の間からのぞく端子【plag】もまた、別の生き物のように前へと回った。
 それは『コネクタ』とも呼ばれるモノ。旧世界の人類は所持しておらず、四足の獣に存在する「しっぽ」によく似ていた。鳴海のそれは黒くしなやかで。先端に金属的な〝差込口〟が無ければ、そのまま「しっぽ」と呼べただろう。
「私は嘘が嫌いだ。知っているな?」
「……はい……」
「ならば問おう。おまえは、今この時点で、私と『交配』を行いたいか?」
「…………」
 無言。代わりに、ゆらゆらと。
 白に近い褐色色の端子【plag】が、怖がりつつも、応えるように前へと回る。
「……私も、鳴海さんが好き、です……。ウソじゃありません……」
「では、愛花も私の子を孕みたいわけだな?」
「はい……」
 コネクタを繋ぎ合わせようとする。裸体のまま、もういちど腕を伸ばして肉体を密着させ、二人のコネクタもまた、先端の部位が触れるほどに近くなり、
「愛花」
「……なんですか?」
「私たちの『子供』が、幸せになれるといいな?」
「……!」
 けれど、そこで止まる。
 鳴海の告げた言葉が、なによりも深く、鋭く突き刺さったように。
「………ぅ、うぅええぇ……っ!」
 泣きじゃくる。瞳に水が溜まり、ぽろぽろと、堰をきったように零れ落ちる。それを見た鳴海は、今度こそ苦笑した。
「本当に素直だな。悪かった。私が悪かったよ」
「うぅ、うぅんっ、鳴海さんは、悪く、ない、でう、わた、私が……。ごめ、なさ、ごめ、なさ、い、わだひが……っ!」
「構わない。構わないから泣くといい。それから、今日は眠れ」
「ふううう……!、ぅぅ、っ、うああぁぁあんっ!!」
 胸元に顔を抱き寄せる。熱を得た水が流れ、腹部から秘部までを濡らしていく。鳴海はその間も絶えず、ゆっくりと、不器用に頭と背をなで続けた。
「……あー、可能なら……私の理性とか、少しは考えてくれると……なぁ?」
 嗚咽に上書きされてしまうほどに小さく、そっと、ため息。
 ともすれば。そちらの方が狂おしく、今にも慟哭しかねない声色だ。きりきりと、歯を軋ませて堪えるのみ。
 がんばれ。がんばるんだ。私の理性。超がんばれ。「熱くなるなよ!」と言い聞かせる。ひたすらに、堪えぬく。
 そして愛しい君を抱いたまま。二人、仲良く墜ちていく。

     

――【SHOW-> text.data_world_REAL】――

 歴之一九九九。
『電糸世界』と呼ばれる、蜘蛛の巣のように張り巡らされた「仮想領域」が構築された。以後の近代社会は、『現実』と『電糸』と呼ばれる二つの世界と相成って、双子のように密接した関係で成り立っている。今やどちらも無くしては成り立たないというのが共通の認識だった。

 歴之二○一○。
 『電糸世界』に解明不能な異形【bug_CODE】が確認される。
 バグは『電糸世界』内部に論理的に存在する、現実世界の現在時刻【time_Re_CORD】とまったく同じ、完全な同期処理を施された「仮想都市群」を攻撃した。
 攻撃された「仮想都市群」は、最少の情報素子『結晶』となって散りゆき、その症状と連鎖するように、現実世界の「電子機器類」もまた、火を噴いて破壊した。
 異形【bug_CODE】の発生理由は現在も不明。判明していることは、従来の保護装置では対抗できないということだけだった。

 歴之二○一三。
 異形【bug_CODE】の無意識を一部乗っ取り【hackking】、自らで操作する【A.I】=【Archives_Interrupt】技術が完成。
 これにより、異形【bug_CODE】の被害を減少させることに成功するが、
 同時に乗っ取った人物【haccker】による、電糸世界からの「人的テロ行為」が発生してしまう。

 歴之二○一五。
 上述した異形【bug_CODE】による攻撃〝内的妥当性領域からの直接改竄行為〟
【UnderSide_GetOver_the_CrackingAttack】により、仮想世界の「核保有施設」の電糸機器が破壊。
 現実世界で制御を失った核兵器が『自滅』し、放射能が広範囲に散布されてしまうという、常識外の二次被害が発生する。
 『ハッカー』による攻撃であるとされているが、詳細は不明。

 歴の二○一六。
 上述した事件が世界中に知れ渡り『ハッカー』による被害が増大する。
 電糸世界の構築が進んでいた先進国の損失が最も大きく、金融機関も半ば麻痺。現実世界に大恐慌を引き起こす。

 歴之二○二○。
 極東の辺境島――などと揶揄された『倭国』にて。
 生体細胞と電糸機器を融合した電糸生命体【cybernetics_hum_CODE】が誕生。
 自らの意識を直接的に電糸領域内へ没入【Dive】することが可能な存在たちは、もう一つの世界で繰り広げられている〝実戦〟に投入され、著しい効果をあげた。

 歴之ニ○二三。
 『倭国』により、電糸生命体は『電装少女』という異名を得る。
 また、電装少女同士の『交配』による、有機的な生体存在の開発に成功。
 『電装少女』に対応した司法制度が急速に進み、伊播磨市(いはりまし)に『学園』が建立。

 歴之二○二五。
 現実世界の先進国が「電糸世界からの攻撃によって半世紀以上もの文明退化も余儀なし」と宣言していた一方で、倭国は急速に発展していく。

 そして。

 歴之二○五○。
 『電糸世界』――「倭国・伊播磨市」。
 【time_Re_CORD】四月六日・午前十時二十三分四十二秒。晴レ。

 ――【CONNECTION.to->World.Another】――

 伊播磨市はかつて、極東の辺境島と呼ばれた『倭国』にある、小さな町だった。
 周囲面積は約三百五十キロメートル、最高標高は千八百メートルと、領土だけで言えばそれなりに巨大であるが、目ぼしい鉱物や天然資源が取れるわけでもなく、土地は全体的に痩せていて、砂漠が広がる場所すらあった。
 ヒトビトが見放したその一帯は、しかし世界が激変した半世紀で大きく変わった。伊播磨市はもはや、世界の情勢を一日ごとに左右しかねないほどの重要拠点の一つだ。
 伊播磨市は、大きく分けて五つの地区で成り立っている。
 最先端の『電糸工学』が集う『学園』が存在する中央区と、それぞれの機能に特化した東西南北を冠した四つの地区だ。――という、これらの〝文脈【text】〟が『現実世界』のヒトビトが認識している〝情報の基本形〟であり、『電糸世界』はその〝文脈【text】〟を元に構文【CODE】化されていく。

 ――【CODE.the_town_of_IHARIMA_Aria9(west)】――

 『電糸世界・伊播磨市・西区・工業特化地域』
 現実とまったく同じ構造の光景、あるいは世界そのもの。あるいは異世界。
 地上・海・空。
 陽の傾き、風の流れと強さ、舞う桜。
 予測される最高気温、最低気温、湿度。
 明日の天気は「くもり、午後からは小雨が降るでしょう」。――なにもかも、同じ。
 ただ、人の気配だけがない。
 それどころか、走る車は一台も見当たらず、この時間なら常に動いている路面電車や、高架上を走る送電車両も、すっかりその姿を消していた。
 まるで目に見えて動いている物だけが、ごっそり取り除かれてしまったような世界に、しかし「ひゅぅん」と風を切る音が高鳴っていく。
 伊播磨の外れ、人気のない海辺の辺り。上空百メートル。
「こちら、プレイヤー01。学園本部オペレーターに通達。統合企業より連絡のあった異形【bug_CODE】を発見。早急に指示を」
 白と紺を基調とした『学園』の制服をまとい。
 さらにその上には、緋色の「鎧」のような破片が付いている。
 背中と両肩の横には、それぞれが独立した、左右四対・八つの小翼――『斥翼』。
 姿勢はわずかに前傾。
 速度は時速にして二百五十余り。
 せまる風圧は、演算装置でもある八の『斥翼』が斬り裂き、無効化。
 短い黒髪がおだやかに、晴れた空の下で揺れていた。

 彼女は『電装少女』と呼ばれている。
 現実にも、電糸にも、等しく存在を維持している新たな種だ。

『――EXEC.こちら学園本部オペレーター。プレイヤーへ通達します。異形【bug_CODE】が、ハッカーに調教された【A.I.U】である可能性はありませんか?』
「ない。ただ目的地へ一直線に目指す型だ。それから、定型文の質問を問う前に自分でも考えろよ、オペレーター」
『E,EXEC!』
「よし、学園の武装領域に要請を送れ。一気に片をつける」
『EXEC!』
 電装少女である赤城鳴海が飛翔する先には、まるで大海をゆったり泳ぐようにして、全長十メートルにも及ぶ、白い巨大なエイが映っていた。
 大きな鰭の両端を上下に動かすだけで、雄大な空を進んでいく。
「――よし、先手を取って……」
『プレイヤー? どうかしましたか?』
「マズイ。この辺りを狙う気だ」
「えっ!」
 敵の速度が落ちた。ぐわん、と地上に対して垂直に全身を反りあげて、

【!!!!!!!!!!!xyyjjjkl,,,”””””jaaewr!!!!!!!!!】

 哭く。奇怪な電糸音が響き渡り、平たい全身をフグのように「ぷくぅー」と膨れあがらせていく。
「転送急げ、敵が遠距離攻撃の態勢に入った」
『攻撃って、ど、どこにっ!?』
「すぐに算出して送る。それよりも転送まであと何秒だっ」
『E,EXEC.きょ、許可の承認まで、あと三十秒、ぐらい……っ!』
「遅いッ!」
『すいませんっ!!』
 容赦のない叱責から間髪あけず「ピ、ピ、ピピピ!」と、時限式の電子音が発生。鳴海の『斥翼』が告げる警告音だった。
「〝黒雅(くろみやび)壱式! 情報神経と視覚概念を接続! 弐式は着弾地点を算出っ!」
【――EXEC.MY・LOAD――】
 翼が応えた。背中に在る合計八翼のうち、左右の二翼が淡く光る。
 左翼・鳴海が持つ仮想の視神経と繋がり、紅の両瞳は進行方向一キロ先を拡大。
 右翼・着弾先の予測を成し、円形状の表示を浮かびあがらせる。
 ――確認。
 敵から被攻撃対象となる、的【Warning!】となった場所は、
「クソ、よりにもよって発電施設だ」
『えぇっ! ど、どうしましょうっ!?』
「本来なら、それをおまえが考えるんだがな?」
『す、すいませんっ! 赤城先輩っ!』
「骨髄反射で謝るな。それと名前で呼ぶな」
『E,EXEC~っ!』
 泣きそうな声が飛ぶ。しかし泣きそうなのは鳴海も同様だ。頼りないオペレーターが混乱しているのを無視して、一瞬だけ最悪の事態を想定。――最悪、現実世界の伊播磨都市の一帯もまた、数十日に渡る大停電が発生する。そうなると始末書。避けられない減俸。ともすれば降格。すごく運が悪いと停学、退学はたぶんない――切り替える。
「オペレーター!」
『はひぃんっ!』
「特定地に即刻、時間差異【Time_CODE.Lag】を仕掛けろ! おまえの大得意な次元演算【dimention_math】だ! できるなっ!?」
『――E.EXEC!』
 やりとりが交わされ、遅れて二秒。

 ぼっ! 

 敵の口蓋から、派手に光る電磁砲が射出された。天から落とされる雷鳴にも似た勢いで一直線に伸び、凄まじい閃光を放ち激突する。
 
 ――轟音。
 
 海風に錆びついた施設の表層から、無人の建物を護る「危険だから入らないで!」と記された立札や金網までもが色と形を失う。透明な外枠だけの破片になった『結晶』は空に舞いあがり、大口を開いたままの異形【bug_CODE】に吸い込まれていく。
【???>,,.??.%%8!!!】
 だが、それは微々たる量でもあった。発電施設は依然として存在の大半を維持しており、異形【bug_CODE】もまた不満を訴えるように高鳴いた。
『――じ、時間差異【Time_CODE.Lag】の生成に成功しましたっ! 衝撃地点への着弾はナノ五秒に留まり誤差は……』
「その報告は後でいい! それよりも、電装更新の許可はどうなった!」
『あ、あぁーっ!? すすす、すみません、忘れてましたっ!』
「……おい?」
『ご、ごめっ、ごめんなさ……っ!』
「謝らなくていい。落ち着け、集中しろ」
『ごめっ、申し訳ないですっ、えっと、私どうしたら……っ!』
「――愛花」
 はぁ、とため息をこぼしながら。空中で腕組み。
 いっそ堂々と、泰然としてみせた。不器用な優しさで苦笑する。
「愛花、おまえはやればできる子だ」
『それっ、ダメな子に対する定型文ですからぁ~っ!!』
「事実だろう?」
 さらりと言いきって。
「――だから、落ち着いて、いつもの訓練通りに支援してほしい。頼めるな?」
『っ! ……が、がんばりますっ!』
「いい子だ」
 ピピピ。
 再び平たくなった「白エイ」は、ゆぅらりと旋回し、鳴海の方を向いてきた。本能による食事を邪魔した相手を察し、引いては排除せんと怒り、膨れる。
『斥翼』の電子計算が告げる。攻撃および着弾まで約五秒。そして間髪入れず、
『先輩っ! 〝上〟から許可もぎ取りました! 電装を更新【update】してくださいっ!』
「よくやった」
『はい! わたし、できる子ですからねっ!』
「詠唱開始」
『EXEC!』
 相手に向け、まっすぐに手を伸ばす。
 声、空に。朗々と響かせる。

「――ここに【上位顕現者】による発令・改変を行う」

 赤城鳴海は、現世界の法則を〝文脈【text】〟として口にする。唱える。

『――EXEC! それは万物を超えた魔法【spell_CODE】として、一時処理されますっ!』

 電糸世界は、現実世界と同様に「力学」の支配下に置かれているが、それはあくまでも「現実」という構造の下敷きにある。
 そして「上位構造」たる現実世界より没入【Dive】した『電装少女』らは、電糸世界の内容を「演算」することで、世界の本質、あらゆる常識性を変化させることが可能だった。

『――主題・電糸世界における【光熱】の是非!』

 電糸世界を構成する〝構文【CODE】〟が、凄まじい勢いで『改変』されていく。
 しかし単独での「演算処理」で生じる負荷は非常に大きい。さらに精神が電糸の中にあろうとも、その中枢、演算を行う「脳」は現実に置かれているために、内的世界からの『改変』だけでは、精度と安定さに欠けていた。そこで、

『――『改変』命令を受信しました!
 対象範囲を、プレイヤー01の視界に映る領域として演算します!
 さらに新たな事象を〝質量ある物質〟として電装を開始!』

 役割を、分離する。

『――EXEC.世界介入を『実行』する!
 新しき其は【武具】として、形を維持するのみを【真】とみなす!』

 『電装少女』は、二人で一つ。頭脳を並列化してこそ、真価を発揮する。
 演算と、その結果を【力】として別世界へ電装する頭脳役の『オペレーター』と。
【力】を受信し、電糸世界の言語として変換。実行に移す『プレイヤー』。

 『―― EXEC.【Enchanted_Re_CODE】!! 』

 ぼっ!

 『改変』終了と共に、敵からの雷撃が伸びていた。空中で佇んでいた鳴海の元へ迫り来る。
 発射からコンマ一秒と間を開けず、強烈な雷が降り注いだ。降り注いだのだが、〝それ〟は、もはや〝彼女の世界〟では一切の攻撃性を失われていた。
「――〝散れ、消失しろ〟」
 かつて、あるいは五秒前に【雷撃】の属性を得ていたものは、伸ばした腕一本の前に、素直に散って終わってゆく。
「さて、反撃といくか」

 電糸世界は常に『改変』される。
 その世界において迅速さ(はやさ)は【力】。
 迅速こそが、すべて。
 迅速きに劣るもの、時代に遅れたものは、皆等しく劣り、置いてゆかれる。

「オペレーター、黒雅【weapon_CODE】を攻撃形態へ移行」
『EXEC!』
 静かに迅速く諳んじる。最新の電糸世界を奔る少女らは、固有操作にて、自在可変型の【武具】を操作する。世界へ命じるように伸ばした左手と共に、音に詠い新生する。

『 翼広げ、生まれ変われ! 』

 黒雅が応じる。
 金属八翼がそれぞれ「カシュン!」と音を立て変形。
 風を切る、鋭き真紅の金属八翼・新生。
 風を圧する、緋色の八銃となりて、蒼穹に浮かぶ敵を狙う。
 紅蓮の銃口――内に秘めし属性は――『超電磁!』【Railgun!】。

「 逃すな、しっかり〝狙え〟よ、黒雅ッ! 」
【 EXEC.MY・LOAD 】

 低い鳴動の音。
 収束せし深淵の光が、八銃それぞれの内に集っていく。
 同時に敵が、本能のままに離脱を開始する。〝それ〟には勝てないどころか、そも、攻撃が届かないと知り尽くす。
 遅くはあれども最適解だ。しかし最善には果てしなく及ばない。

 的【Target!】・敵中央に表示。

「 奔れ――。穿って喰らって飲み干し尽くせッッ!! 」
【 !!!! EXECUTION !!!! 】

 ――解放。
 御伽の世界に在るが如き、黒竜じみた咆哮が伸びて往く。軌道を変えて旋回する相手を追尾せんと〝光〟が曲がる。それは決して〝相手を逃さない〟。正確無比に【必的】する。
【!!!!!!!!!!!...!】
 光速を超えた一撃が、異形【Bug_CODE】へと突き刺さり、正確に的【Target!】を撃ち抜いた。外から内へ、喰らい尽くしていく。
【!!!!...!!!.......!!..!.!........】
 装甲の一切を無視して貫通。遙か彼方まで伸びた光は、緩やかに消失。
 大穴を開けた敵は、浮力を失った航空機のように頭を落とした。重力に寄り添うように沈みながら『結晶』に戻っていく。喰らったばかりの発電施設の破片共々、地上に落ちるよりも速く、仮想世界の空を昇り分解された。
 あとには何も残らなかった。
 無人の「仮想都市群」は平然と並び、空に浮かぶ『電装少女』が一人残される。
「――黒雅、通常形態へ移行」
『EXEC! 赤城せんぱ……じゃなかった、プレイヤー01、お疲れ様です!』
「本当にな」
 鳴海は頭を抑え、大きく、疲れた息を吐いた。「マスター苦労してますねぇ」と言わんばかりに金属銃が分解され、元の緋色の八翼に戻る。
「オペレーター、帰ったら話したいことがある」
『はうぅ……。あの、じゃあ帰還用の扉【gateway】を開きます~』
「頼む」
『お説教は程々にしてくださいね……』
「はやくしろ。怒るぞ」
『EXECっ!』
 通信を終えて、赤城鳴海はもう一度、空を仰ぎ見た。
 河岸の先にある桜がちらほらと綺麗で、とても穏やかで、静かだ。
「……ぐ」
 頭を抑える。ここがヒトビトが作った仮想世界とはいえ、本来の正しい在り様を変え、自分本位の構文【CODE】を作ることは容易ではない。強烈な負荷が代償として脳にかかるうえ、なによりこの電糸世界は本来、現実世界のヒトビトが共有・設計する世界だ。魔法【spell_CODE】を一つ構築するにも、何万行にも渡る『規約』と、ドロドロとした利害と権利が、複雑怪奇な糸の如く絡み合っている。
「……仮想、あるいは下層であるこの世界に、自由なんてない、な」
 呟く、けれど。この世界はとても美しく、上層以上の整合性に満ちていた。
 ヒトが作った、本物当然の『イミテーションワールド』。
 そして、もうひとつの『リアルワールド』。
 どちらもが真実。虚構すら裏返しになって【真】となる論理積。
 舞う桜の花びらと共に。はらはらと。
 赤城鳴海の姿もまた、最少の電子素体へと移り変わり、散った。

     

 ――【CONNECTION.to->world.REAL】――

 日中、午前十一時。
 赤城鳴海の意識は、現実世界に再接続された。
 薄暗い、ゆりかごのような暗室。仰向けになった姿勢で目を覚ました鳴海の耳が「パチっ」という、コネクタが解除された音を耳にした。
『――電糸世界との通信は正常に終了されました。あなたの状態は健全です。おかえりなさい、プレイヤー――』
 人工知性が型通りの条文を読みあげると、ゆりかごの蓋が開いていった。
 暗闇の先に広がるのは白い清潔な無菌室だ。
「ふぅ……」
 吐息をひとつ。鳴海は寝台から上体を起こし、首と肩の関節を動かす。少し固まっていた現実の肉体が、嬉しげに小さな音を立てる。
 素足で床に降り立つ。今身に着けているのは、スポーツブラとショーツ、そして電糸世界では【武具】となる黒雅――【Plag_OUT】されたコネクタだけだった。
 無言で進む。自動扉をひとつ抜けると、そこが『プレイヤー』の更衣室になる。
「――あら、ナルミ。そっちも片付いたとこ?」
「あぁ、ついさっきな」
 『学園』のスカートを履いて、ちょうど釦を留めていた女性が顔をあげる。現実の海を超えた西の果てに広がる大陸生まれ、純粋の欧羅人だった。整った美貌は金髪碧眼。実った乳袋もよく目立つ。純白に輝く優美なコネクタが、くるり。
「バグと一戦交えてきたんでしょ、どうだった?」
「べつに。いつも通りだ」
 愛想なく言って、並ぶロッカーの一つに自分のコネクタを挿入する。鍵を開けて中に畳んでおいた制服を、同じように手にとった。
「その割に、なんか不機嫌みたいね?」
「今後の指導方法を考えている」
「……あー」
 微妙に成り立っていない会話にも、金髪乳美女は納得げにうなずく。
「ナルミ、あんまり厳しくやって、逃げられても知らないわよ」
「まだ平気だ。飴のほうは幾分、余裕がある」
「飴て……。アンタ、本当に容赦ないわねぇ、もうすこしぐらいは……」
「説教するなら服を着替えてからにしてくれ、金髪乳袋」
「だ、誰が金髪乳袋ですってぇ!?」
「おまえ以外に誰がいる」
「やっかましいわ貧乳娘ッ!!」
「む」
 鳴海は眉を寄せ、制服の釦を留めつつ振りかえる。
 相手の乳を見て、自分の乳を見て、ちょっと触って、揉む。頷いた。
「私のこれは適正だ。貴様のが不必要に大きいんだ。牛にもそれぐらい分かるだろう?」
「私の乳は鳴かないわよっ!」
「その返しは新しいな。牛」
「誰のせいよっ! っていうかさらりと牛をあだ名にしようとすなっ! ちゃんと私の名前呼びなさいよねっ!」
「すまん。普段から乳だの牛だの呼んでるからな。忘れた」
「ひ、ひっど……っ! アンタは鬼よ! 鬼っ子だわさ!」
「冗談だ。そう怒るな」
「アンタのその冗談がひどいっつってんでしょーがーっっ!!」
 乳牛が、開いた自分の棚から手頃な電動櫛をひっつかみ、投擲【shot】する。鳴海はそれを苦もなく手にとった。
「借りるぞ、フィノ=トラバント=アイリス」
「うっさいバカっ! フルネームで呼ぶなっ! 返せバカぁッ!」
 無視して電源を入れる。
 ぶおーんと、間の抜けたような温かい風が、後ろ髪をなでた。

 更衣室を抜けると、そこはもう『学園』の本校舎になる。長い廊下を曲がった先や、窓硝子の向こうにある校庭や体育館からは、日々の勉学と訓練に勤しむ女学生たちの声が聞こえていた。そして、
「おかえりなさいませ。赤城鳴海センパイ、フィノお嬢様」
 涼やかな声がした。
 白と黒を基調とした学園服は、支援職を意味する。頭には扇形の「音声発信機」の役割を果たす髪飾りを乗せ、恭しく一礼。
「お勤め、ご苦労様でございました」
 その女子生徒の見目は幾分にも幼い。
「ただいまエリス。支援ごくろうさま」
「お嬢さま。もったいないお言葉にございます」
 綺麗に伸びた銀髪と共に、ふわりと笑顔を持ちあげる。顔立ちと背丈は幼いが、内に秘めた佇まいは清楚で、なにより大人には持ち得ぬ可憐さに満ちていた。
 対してもう一人。
 この学園が置かれた地、倭国民の血が流れることを示す黒髪黒瞳の少女は、おどおどと気弱な表情を浮かべて言う。
「あ、赤城、せ、先輩っ、あのっ、そのぅ……っ!」
 どこか泣きそうな顔。礼をするのも忘れ、愛想のない先輩の相貌を見上げる。
「怒ってますよね……?」
「説教したくなるぐらいにはな」
「あうぅ……」
「こら、ナルミっ」
 フィノが睨む。
「まずは自分のオペレーターに感謝の一言。プレイヤーの常識よね?」
「……」
 あまり絡んでくるな、と言わんばかりに不満げ。そして自分を見あげている小動物に対して、
「御園愛花」
「はひん!」
「あとで補習授業だ。いいな」
「ナルミ! ちょっとアンタねぇ! なんていうかもう……本当いい加減にしろ、ってか実はバカなんじゃないのっ!?」
「私には私のやり方がある。口を出すな」
「出す! 出します挟みます割り込みますってのよっ!」
 ずばずばと口を尖らせ、鳴海の顔に人差し指を突きつける。
「いい? 私たちはね。専属のオペレーター達が支援してくれてるから、電糸世界で神様みたいに振舞えるのよ! エリスやアイカが居てくれないと、私たちなんか単に空飛んだり、海潜ったりするだけのヒトなのよ!」
「今更なことを解説するな」
「アンタがわかってる素振りがないから、解説してやってんじゃないのよっ!」
「あ、あのっ、フィノ先輩っ! 私のことなら、その、大丈夫ですからっ!」
 わたわたと慌てた顔をする愛花に向けて、
「大丈夫、いいのよ」
 手で制した。それから「さらり……」と髪を払って『ここは綺麗で頼れるお姉さんに任せて頂戴(-_-*)v』の構え。
「そういう優等生的な事を言う子に限って、大丈夫じゃないんだから。わかってるんだから。だからここは、お姉さんがビシッと――」
「お嬢様、嗚呼お嬢様……っ」
 しかし声が挙がる。フィノのオペレーターが泣きそうな顔になっていた。
「本国の旦那様、奥さま、申し訳ありません。私がついていながら、お二人の唯一の御子女は、こんなにも場の空気の読めない、痛々しい技能に長けたお嬢様となってしまって……嗚呼っ!」
「……いや、え、あれぇー……?」
「これは一刻も迅速く、私が世間に対して責任を取らないと!」
「へ?」
 ほろり、と涙をこぼしながら。
 エリスは制服の白い前掛けに手を入れて、そこから、小太刀を取り出す。
「ふふ、うふふ……。はぁはぁ、ついにこの日が来てしまいましたかぁ♪」
「――えーと。もしもし、私の可愛いオペレーター?」
「EXEC.」
「なにをしてるのか、お姉さん聞いてもいいかなぁ」
「ハラキリにございます♪」
「なんでちょっと嬉しそうに言ってんの!?」
「自害は、倭国においては一種の美学にございます故」
 涼しげに言って正座する。切腹状態【style_SAMURAI】へ移行。
「さぁ、お嬢様。介錯をお願いいたします♪」
「目を覚ましなさい、エリス! 現実に帰ってきてどうぞ!」
 綺麗で頼れるお姉さん、半泣き。
「というかねぇ! 大体、エリスは悪い意味で倭国の映画の影響受けすぎなのよっ!」
「な、なにをおっしゃいます、お嬢様の分際でっ! ミスター・クロサワをバカになさるのは、お嬢様とて許しませんでござりますよっ!!」
「してないし! ござるつけるなし! あと私のこと馬鹿にすんなしっ!!」
「我が生涯に一片の悔いござる!」
「あるんかいっ! っていうかだから、やめなさいってーのーっっ!!」
 びしっ! フィノが裏平手【tukkomi】を発動! 空を斬る!
「お嬢様! 低俗でろくでもないマンザイ動画の真似事をしないでください! まったく恥ずかしいっ! 私のお嬢様が恥ずかしくて困るわけなんですけどっ!」
「最近の軽遊戯小説【lite_novel】の表題みたいな言い回しはやめなさい! 大体エリスが普段から空気よめ、空気よめってウルサイからっ! 頼れる上に美人で優しいお姉さんはこうして日々精進してるんじゃないの! ほらほらご覧なさぁい! びしッ、びしッ! この特訓の成果をっ!! びしッ! びしぃッ!」
「ウ、ウザァイ! 
 お嬢様、今アンタ最高にウザったく輝いているでございますぜよぉっ!」
「エリスーッ! さすがに口が過ぎるわよっ! おしおきほあたぁっ!」
 ――びゅおうおぅおぅおぉおうんっ!
 裏平手【tukkomi】・最大速度【max_Speed】+
 垂直角度の振り下ろし【tencyu-nasake_muyou】=【EXCUTION!】
「らめぅ!?」
 必殺。叩き込まれたエリスは前かがみに倒れ、尻を天井に突きだした姿勢で器用に沈んだ。小太刀は床に転がったものの、白目を剥いて、藍色のコネクタがぴくぴくと怪しく痙攣したまま動かない。
「ご、ごっめーんっ! お姉さん、ちょっとやりすぎちゃったカナ☆」
「…………」
 動かない。
「あの、エリスー、もしもし、エリスちゃーん?」
「…………」
 へんじがない。ただの、
「い、いやあああぁっ! エリスーっ! お願いだから目を覚ましてー、エーリースーーッ!! こんなのって、ないわーーっ!!」
「もういい。行くぞ、愛花」
「……えぇと。この状況を放置してもいいんですかね?」
「時間の無駄だ。放っておけ」
 二言のもとに斬り捨て、鳴海はさっさと歩きだした。

     

――【SHOW-> text.data_world_REAL】――

 電糸世界に没入【Dive】することが叶う遺伝糸【plag_CODE】を持つのは、そのすべてが女性――正確に言うなれば『十代の女子』である。その理由は一般世間には公にされていない。されたところで、興味をもたない。
 女性の染色体や、一時的な構造的変化細胞がどうのこうのと言われたところで、一般の反応は概ねが「ふーん」だ。
 大多数の目に見え、音に聞こえるのは、端的に「十代の女しか無理」という現実だけ。あるいは「その研究にいくらかかってんの?」である。
 優先度が高いのは、事実によって支えられるべき「社会構造体」であり、言いかえれば「安定した自分たちの生活に繋がんの?」という、即物的事実である。
 故に。その興味のなさをついて『電装少女』を育成する機関は生まれた。
 機関の名称を考えた際、世論の批判を真っ向から浴びかねない「軍施設」というよりは、誰もが通過する『十代【teenager】』の属性を優先した方が都合がよかった。

【time_Re_CORD】四月六日・午後十二時三十分。晴レ。
【place_CODE(Real)】現実世界の伊播磨市、中央区『学園』。

 学園内の敷地は、超微細な流動『緑』遺伝糸【nano_CODE_of_MANA】によって覆われており、一角には巨大な自然公園を思わせる〝大緑園〟が広がっていた。
 五十年前。不毛な大地であった伊播磨の光景は見るべくもない。
 ヒトの手入れが行われずとも、景観豊かに花が咲きほこる。蒼穹から燦々とそそぐ陽射しを浴びた芝生の上は、弁当箱などを持って訪れると、気がつけば夢の中に連れて行かれ、午後の講義に遅刻欠席の印がつけられるという、げにおそろしき『魔の海域』として有名だった。
 そんな海域の一帯は今、美しい桜並木の装いを成している。樹の下には女子生徒らが腰を下ろし、手提げや、巾着袋から解き放った魂の結晶、命運をかけた勝負弁当の蓋を開いている最中であった。
「はい、サヤ先輩、あーん♪」
「あの……。だいじょうぶですよ、一人で食べられますからね」
「え~、一緒に食べた方が美味しいじゃないですか~」
「それは、そうかもしれませんが……」
「もしかして、私のお弁当、余計でしたか?」
「いいえ、そんなことないですよ。それよりも私は、人と待ち合わせしていて……」
「そうだったんですか……っ! ごめんなさい……」
 しゅん。
「あ、あの、えぇと……」
「いいんです。いきなりお引き止めして、ごめんなさい」
「……わかりました。そのお弁当、一口いただいてから参ります」
「本当ですかっ?」
「はい。せっかく作ってくださった物を、無下にするわけにはいきませんから」
「それじゃ、……あーん、してくれますか?」
「わかりました」
「じゃ。はい、あーん♪」
「あーん……」
 倭国人の女性。黒々とした三つ編みを背中まで伸ばした細見の上級生がいた。コネクタも細く、それは梅雨時に咲く紫陽花の色に似ていた。
「……ん」
 芝生の上で下級生と寄り添って、頬を桜ほどに薄く染め、一口飲んだ。
「どうでしょうか、サヤ先輩の為に作ったお弁当、美味しいですか?」
「えぇ、ありがとう、とても美味しかったですよ。それじゃ私はこれで――」
「そう言わずに! もう一口どうぞ!」
「え」
「もう一口だけ、もう一口だけですから、ね♪」
「……そ、それじゃあ……」
「はい、あーん♪」
 ぱくん。二口め。
 おだやかな気配を醸す先輩と後輩。そして桜の樹の影からは、くやしげな表情を浮かべる下級生がいるのだった。
「(じーっ)あ、あの泥棒猫っ! 私のサヤ先輩に手を出して許さないっ!」
「(にやり)そんなところで黙って見てるのが悪いんでしょう?」
 平和なお昼休の一時だった。
 青春を謳歌する現役生徒たちは、基本的に全員が『電装少女』であり、没入【Dive】することができる。しかし統合企業から異形【bug_CODE】の討伐依頼を受けられるのは、必然的に〝実力のある優秀な生徒〟に限られる。
 依頼として支払われる報酬の額は、莫大だった。
 学園の『プレイヤー』の中でも上位の腕前を誇る生徒は『ランカー』とも呼ばれ、企業からの指名率も高い『ランカー』の年収は、実に億を超える。
 ――その結果として発生するのが「二次災害」だ。
「サ ヤ せ ん ぱ ぁ い ♪」
 樹の影に佇んでいた女子が意を決したように「ずさーっ!」と滑りこんでくる。
「こっちのお弁当の方が、そこの駄猫のお弁用よりも絶対に美味しいですから! はいあーんしてくださいっっ!!」
「えぇと、私そろそろ行かないと――」
「ちょっとアンタいきなりなに? なに横から割り込みしてるわけぇっ!?」
「なによ! そっちこそ何様のつもりっ!? どうせアンタも、サヤ先輩のお財布が目当てなんでしょ! 私だけが違うんだから!」
「ふざけないでよ! 見え見えのウソ吐く、アンタと一緒にしないで!!」
 バチバチ。
 下級生二人の目に紫電が奔る。
 二次災害、それは『ランカープレイヤー』の伴侶――「本妻」の座を狙う『オペレーター』争いのことである。男は外に出れば七人の敵がいると言われるが、この学園においては、女もなにも関係ない。
「サヤ先輩を一番に愛してるのは私なんだもんっ! アンタ邪魔!」
「うるさい! 後から出てきた分際でっ! 引っ込んでなさいよっ!!」
 弱肉強食は世の常だ。
「沙夜先輩は渡さない! アンタに――決闘【Duel】を申しこむわっ!!」
「望むところよ! 物理的にいく!? それとも電糸的っ!?」
「速攻で片のつく物理的に決まってんじゃないのよーっ!」
「EXEC! 五秒で白黒つけてやろうじゃないのっ!」
 この世界に、ハッキリ言って「草食系」はおよびでない。
 死ぬから。

『 うおーりゃあああぁーーーっっ!! 』

 ――戦闘開始。
 下級生であろうとも、普段から異形【bug_CODE】との対戦が想定されているが故に、彼女らは必然的に武道を学ばされている。
「はっ!」
「やあっ!」 
 共に堂に入った構えで踏込み、パンチ、パンチ、パンチラキックの応酬だ。呼吸を制し、常に先手を読みあい、相手の隙を狙って一撃を繰り出していくところが只の喧嘩素人とは違っていた。
 すなわち、選ばれし『ランカープレイヤー』は、その上をいく。
「……今ッ!」
 女子二人が掴みあった一瞬の隙を見逃さなかった。
「お弁当ありがとうございました美味しかったですさよならお元気で!」
 高速言語を放ち、颯爽と、
『あーーーーっ!! 逃げられたーーーーーっっ!!』
 去る。
 桜の花びらが落ちるよりも迅速く、領域を見事、離脱した。

 *

 赤城鳴海は『ランカー』だ。
 ちくちくと、周辺から突き刺さる視線を感じるも、彼女の側に座るのはたった一人しかいない。
「――大体な。前から言っているだろうが。おまえは、もう少し自分で判断を行う癖をつけた方がいい」
 説教をしながらも、さりげなく周囲に気を配っている。鳴海の相方は正に草食系に属しており、授業中と放課後は私闘が禁じられているものの、溜まったうっぷんが爆発する昼休みに目を離せば、大変なことになってもおかしくないのだ。
「私のことは構わない。ただ、おまえの失態が、この現実世界に大きな歪を引き起こす可能性があるんだ。そうなると我々全体の評価が下がる」
「はいはひ」
「なんだそのおざなりな返事は。ちゃんと聞け」
「すみまへん」
「愛花」
「なんれひょふは」
「……栗鼠かおまえは」
「んむ?」
 端整な顔の眉をひそめた先。鳴海お手製の、二度揚げした「から揚げ」を、もりもり頬張る十四歳の女子。草食系、あるいは真に裏表のない天然女子。
 ごくん、と喉が動く。
「だって――。赤城先輩のお説教聞いてたら、お昼休み終わっちゃいます。それに、食べながらでいいから聞けって言ったのは、赤城先輩じゃないですか?」
「……おまえは本当に、私の機嫌を逆撫でするのだけは得意だな……」
「あれ、わたし、なんかいらんこと言いました?」
「もういい。食え、食って、もう少し太れ、バカ」
「はいっ、一年白百合組み、御園愛花っ! お弁当をいっただきますっ」
 とりゃー。対と化した箸が風を切る。狙うはおかず、白いごはん。
「はむはむんっ!」
 鰤の照り焼き、白いごはん。
 ほうれんそうのゴマ和え、白いごはん。
 金時豆の甘煮、白いごはん。
 たけのことニンジンとひじきの煮物、白いごはん。
 ポテトサラダ、白いごはん。
 二つ目のから揚げ、白いごはん。そして
「先輩、お茶ください」
「殴るぞ」
 言いつつ、水筒からこぽこぽと、ぬるい緑茶を煎れてやる。手渡したそれを一気に、ごくんごくん、喉が動いて快哉をあげていた。
「ふやぁ~んっ!」
「満足か」
「はいっ! ごちそうさまでしたっ! 赤城先輩のお料理は、やっぱりすごく美味しいですね!」
 十四歳の女子生徒が惚けたような顔になる。
「わたし、今なら死んでもいいかもです……っ」
「それは冗談にならんからやめろ。あと寝るな、おまえには午後の授業が待ってるんだからな」
「さぼるという選択肢も、なくは……」
「ない」
「さいですかー」
 残念そうにこぼす愛花に向け、鳴海は呆れたように続ける。
「おまえは、私が公言している唯一のオペレーターなんだ。最低限の評価は出せ」
「むー」
「むくれるな。どうせ座学で寝るんだろう。出席ぐらいしておけ、馬鹿者」
「バカバカ言わないでくださいっ、確かに授業は居眠りしちゃいますけど、演算試験は、私がとびきり一番なんですよっ」
「知っている。おまえの演算力は、私が今まで組んだオペレーターの中でもとびきりだ」
「でしょ~?」
「ただ、判断力が致命的に悪い。おまえはとびきり、センスが無い」
「……ほ、褒められたと思ったのにぃ……!」
「潜在力はあると認めている。なまじ頭が良い分、とっさに浮かぶ選択肢が多いのかもしれんが、そこから最適解を出せるよう、努力を惜しまないことだな」
 弁当箱の膳をしまいつつ、淡々と告げる。
「同じ状況は二度とない、と覚悟しておけ。覚悟を持つことは、火事場のなんとやらに繋がる。大概はそれでなんとかなる」
「……せ、繊細なんだか、大雑把なんだか、よくわかんないんですね……」
「決断だけは迷うな、ということだ。ほら立て、寝る前に戻るぞ」
「二度と、ありませんか……?」
「ん?」
 腰をあげ、声を聞く。
「同じ状況です。二度とありませんか……?」
 意味ありげに、じっと、一心に見上げる。
 それを受け止めた側は、いつもの小言を返しかけ、代わりに空いた手を伸ばすだけ。
「おまえ次第だ」
 その手は、愛花よりもたった三つ年上の手だ。けれど確かに違う、大人の手。
「私は、おまえの隣にいる事しかできない」
 大人は我慢を知っている。急いて駄目ならば、待つことを良しとする。
 まだ十代ながら、常に最前線で戦ってきた女性は、それが最善だと知っていた。本当に繋がり合える日を、心の底から望むまで、いつでも此処に在るからと。今は不器用に答えるだけに留めておく。
「ほら、いくぞ」
「はい……」
 はたして、その気持ちが後輩である少女に正しく伝わったかはわからない。
 ただ「ほわん」と緩く、心から安堵したように微笑んだ時だ。

 「 あのっ、先輩っ! わたしっ! 
   御園先輩の赤ちゃんをっ、産みたいんですーっっ!! 」

「な、なんですとー!?」
 驚いて、跳ねた。
 愛花が振りかえった先に、たった今の発言をしたらしい下級生と、それに向き合う上級生がいた。
「お願いしますっ! 私、私にっ! 御園瑞麗(みそのみれい)先輩の遺伝糸【plag_CODE】を、挿入してくださいっっ!! お願いしますっ!!」
 正に必死といった感じ。というかその場で相手を押し倒して強引に奪いますよ! と言い出し兼ねない女子生徒の勢い。
「あはは。そっかぁ。キミ、アタシと『交配』したいんだねぇ」
「はいっ!」
 それを平然と受け止めるのは、鳴海と同じような長身体躯の倭国人だった。おまけに正反対の、とても人好きのする優しげな微笑みを浮かべている。
「もちろん。いいよ」
「ほんとうですかっっ!!」
「〝疑似〟なら、ね」
「……え?」
「だから、疑似だよ。疑似『交配』」
 風香るような、明るい笑顔。
「だぁいじょうぶ。ちゃんと奥まで差し込んであげるよ。遺伝子【Plag_CODE】が流れる感覚も味わえるから、気持ちイイよ?」
「そ、それじゃダメですっ!! 意味ありませんっ!」
「意味?」
「だって疑似じゃ、赤ちゃん作れないじゃないですかっっ!! そんなのっ、意味ないですっっ!!」
「ふ~ん、そう」
 ほんの少し小首を傾げる。
「そうだねぇ。子供産めまないと意味ないよねぇ、うんうん」
「?」
 その女性の仕草や態度には、なにも変わりはなかった。――と思えたのは、現実世界どころか、仮想世界ですら〝生命の危機〟を味わったことのない者だけだった。
「――あ、赤城先輩っ! 〝お姉ちゃん〟を!」
「愛花」
 ただ、それが分かる者は、周辺の空気が、一息で春から冬に変わったほどの変化を感じとる。
 かたかたと、両肩を震わせる愛花を見て、鳴海は躊躇する。彼女の側に残るか、それとも〝アレ〟を止めるのか。
「あの……御園先輩?」
「――思ったよりは、賢いなオマエ」
「え?、え……、ぐ、っ!?」
 腕を伸ばした。首を捉えていた。絞める。
 万力を閉ざすように、なんの躊躇いもなく五指を閉ざしていく。
「そうだ。この生命に、意味なんてもの、ねぇよ」
「……ぁ、か、」
 ひ、ゅう、と。正しくない息が応える。おだやかな校内の一角で、鳴海と同じように様子を見ていた女子生徒から、悲鳴が上がる。しかし意に留めず、笑顔は続いた。
「今、苦しいだろ? 生存に必要なものが失われていくのは、どんな気持ちだ?」
「…………ッ!」
 爪。首を絞められる女子生徒が必死に立てた手の甲に、赤い血が浮く。しかし勢いは緩まない。
「意味ナシ、だ。アタシらは次の世代を担うだけの無意味な種だよなぁ。だから、そうだなぁ、キミを破壊してもいいよねぇ?」
「……ぁ……っ……」
「いい貌だよ。そのまま、壊れなよ」
 笑顔のままに。本気で言った時。
「やめろバカがッ!!」
「お姉ちゃんっ! やめてよぅっ!!」
 叫ぶ声、二つ。片方は全力で前へ駆けていた。
 初めてその手が停める。
「……鳴海」
「瑞麗、今すぐその手を離せ」
「……へいへい……」
 手が離れる。首を掴まれていた女子生徒は崩れるように倒れ、瑞麗はほんの少し眉を寄せた。「あーあ」と苦笑する。
「興醒めだ。アタシの視界に入るなよ、鳴海のくせに」
「だったら騒ぎを起こすな、――大丈夫か」
 冷ややかに。口元だけで笑う相手を無視して、鳴海は地面に倒れた女子生徒の側に膝をつく。
「……ぁ、、かはっ!、げほっ、あっ、あ……!」
「落ちついて。大丈夫だから、ゆっくり息を吸って」
「は、ぁ、はぁ、は……」
「そう。ゆっくり。吐いて、吸って、そう。大丈夫だ」
 女子生徒の背をさすり、それから、改めて騒ぎを起こした相手を見上げた。
「――停学期間は終わったのか?」
「終わってねぇよ」
「だったら、もう一度おとなしく謹慎していろ」
「アタシだってそうしたいんだけど。教師から直々に出て来いってお達しでね」
「……統合企業からの依頼か?」
「さぁ? 昼休みが終われば分かるんじゃねぇの?」
 吐き捨てるように言って、今度は芝生に座り込んだままの妹を、どこか面倒くさそうに見据えて言った。
「つか、鳴海さぁ。愛花を孕ませるんなら、さっさと済ませろよ。ウチの母親がいろいろ、それはもうウルサイんだわ」
「おまえに言われる筋合いはない」
「……へぇ、アタシが口を出す筋合いはないってかぁ……」
 笑みを濃くする。感情をむき出しにする。
「やっぱそのスカした態度、ムカツク」
 堪える、という選択を放棄した瑞麗は静かに拳を作った。パチリ、パチリと、実体を伴う『電気の帯』を纏わせる。
「……微細生体電糸技術【cybanetics_nano_Appri】か」
「そうそう。停学中は暇だったんで、いろいろと、弄ってたわけだよね」
「見るからに違法だが、更新許可は取ったのか」
「取るわけないじゃん。――ま、とりあえず結構痛いから、気を確かにな?」
「問題児が」
 心的にもひりつくような緊張を感じ、鳴海が立ち上がる、と。
「いたっ! み~ちゃんっ! やっと見つけましたよっ!」
 別の上級生が駆けてきた。黒の三つ編みを背中まで垂らした細見の女性だ。
「沙夜」
「みーちゃんっ! なんで待ち合わせ場所にいないんですかっ、電糸通信にも出てくれないしっ、おかげで散々、広い校庭を探し回ったんですよ!」
「その割には、口元に米がついてんぞ」
「……え? わっ、本当だ! いつのまに……っ!」
「いい機会なんじゃねぇの」
「? なにがですか?」
「私なんか捨てて、そいつと組んだらってことだよ」
「バカ言わないでくださいっ! 私のオペレーターは、みーちゃん以外いませんっ!」
「さいで」
 吐息をひとつ。拳に纏わせた放電現象が収まり、その指で相手の米つぶを拾う。自分の口元に運んで、ぺろり。
「沙夜は隙が多すぎだ」
「隙を見せると、みーちゃんが心配してくれるじゃないですか」
「……意図的かよ」
「勿論です♪」
 場の空気が一気に緩くなる。
「みーちゃん、はやく行きましょう。お昼休みが終わる前に、職員室に顔を出しなさいって言われてるんですからね」
「五月蠅い。すこし黙れよ。まだこっちは話が――」
「黙りません。黙って欲しかったら、はやく私の腕を取って一緒に歩いてください」
「……腕を取る必要はねーだろ」
「あります。腕を組まないと、みーちゃんは、すぐ何処かへ行ってしまいますから」
「……」
 気が弱そうな同級生は、裏腹にどこまでも自分本位に振舞った。そんな相手に毒気を抜かれ、苛立ちと困惑をない交ぜにした表情で判断する。
「じゃーな、鳴海」
「帰れ。二度と来なくていいぞ」
「そういう訳にもいかねーよ。たぶんな」
「あ、あれっ!? こんにちはっ、いらっしゃったんですね鳴海さんっ」
「最初からいたとも」
「そうですかー、ごめんなさい、ぜんっぜんっ、気がつきませんでしたっ」
 緩んだ空気が、またぴりぴりし始める。
「ところで……そちらの女子生徒はどうかされたんですか?」
「いいから。職員室行くんだろうが」
「はい。みーちゃん♪ 腕組んでくださいね」
「やだね!」
 迅速きに歩きだす後ろ姿を。追いかけた。
残された鳴海はそれを見送り嘆息。改めて首を絞められた下級生に声をかける。
「大丈夫か、保健室まで連れて行こうか」
「あ、はぁ……っ!」
「? どうした、どこか具合が?」
「……いいっ、すごく、いい……っ! 息苦しいこの感じ……! たまらない……っ!!」
「よしよし、頭以外は大丈夫だな」
「あ、いえいえいえ。万が一のことがあってはいけないので、お姫様抱っこして保健室のベッドまで運んでカーテンを閉めて添い寝してくださると……」
「悪いが遠慮しておこう、万が一のことがあってはいけないからな。では」
 颯爽と放置することに決定。鳴海もまた、自分のオペレーターの元に戻っていく。

     

【time_Re_CODE】四月六日・午後一時十五分二十四秒。曇リ。
【place_CODE】伊播磨市・中央区学園・小会議室【briefing_room】。

 ――統合企業、あるいは倭国より指名を受けた『電装少女』らが集い、担任の教師と共に作戦目標を確認する部屋だ。今は六名の『プレイヤー』と『オペレーター』が、一つの長机に向き合って座っている。
「よし、全員そろったな」
 そして六人の正面・電糸版の前に立ち、紺色の欧羅式スーツを着こなした女性が、全体に告げる。
「これより説明する内容は、本日の午前十一時前後、本学園が倭国政府より受けた依頼内容となる。集まった諸君らは、名指しを受けた候補六名だ。これより一単限分、通常授業の代わりに説明を行う。返事」
『EXEC.』
 欧羅人の中でもとりわけ生真面目な性質で、倭国人とも似たところ(主に神経質なところ)が多いと有名な、ディアと呼ばれる種族の教師だった。
 二十歳を超えている教師にコネクタは無いが、代わりに情報を共有できる電糸端末機を持っていた。
「よし。では出席を取るぞ」
「リーアヒルデ先生、その前に一つ質問があります」
「許可する。フィノ=トラバント」
「はい。一体どうして、停学中のミレイがここにいるのですか?」
「テメェより役に立つからに決まってんだろ。数合わせの乳袋は黙ってろ」
「て、停学すら明けてない早々っ、ヒトのことを数合わせの乳呼ばわりすなっ!」
 思わず席を立ち、ビシッと指を突きつける。しかし即座に「ヒュンヒュンヒュン!」と棒状の物体が、正確無比に額の上に直撃した。
「いったぁっ!?」
「席につけ。フィノ」
「で、ですが先生っ!」
「それ以上の発言は減点を取る」
「ぬぐぐ……っ!」
 納得いかない顔をしながらも、頭を下げて席につきなおす。リーアヒルデが「くんっ」と中指を自分の方に向けると、フィノの額に投げた電糸筆が、孤を描いて戻っていった。
「では、はじめるぞ。この出席には本作戦の電糸番号とも同期させてあるので、併せて自分の番号も情報素子に登録するように。返事」
『EXEC.』
 応え、六人はそれぞれ、机の裏側にある端末へコネクタを接続する。

 ――【CONNECTION.to->text.LOG】――

 部屋内のみで共有された「情報窓」が浮かぶ。リーアヒルデのみが、連携された情報端末機を手に読みあげた。
「――『プレイヤー』01.赤城鳴海」
「EXEC.登録完了」
「――『オペレーター』01.御園愛花」
「EXEC.登録できましたっ!」
「――『プレイヤー』02.フィノ=トラバント=アイリス」
「EXEC.登録しました」
「――『オペレーター』02.エリス=フリージア」
「EXEC.登録いたしましたわ」
「――『プレイヤー』03.蒼月沙夜」
「EXEC.登録、終わりました」
「――『オペレーター』03.御園瑞麗」
「EXEC.登録」
「――最後に担当教師【teacher】、ジグムンド=フォン=リーアヒルデ」
『EXEC.』
 登録完了。あとは機密保持の為、コネクタを伝い〝文脈保護構文【protection_CODE】〟が掛けられる。万が一、内容を口に出してしまうようなことがあれば、即座に電糸世界を伝って関係者に知れ渡ることになる。その更新が終わると、依頼内容がそれぞれの視界に飛び込んでくる。――表示。

『 依頼番号:乙種0095623。
  依頼先:倭国政府・天宮殿。
  依頼内容:天宮光(あまみやひかる)様の護衛。
  期日:「四月十日から、四月十一日」までの二日間。

  本題:
  週末、天帝御子女の一人であらせられる「天宮光様」が、
  その御身直々に、伊播磨市の現状を視察に参られます。
  初日に「中央区」及びその『学園都市』の周辺を。
  二日目は、残る四区の視察を行う予定にございます。
  こちら側(天宮殿)からは「現実世界」に対応した護衛をおつけ致します。
  『学園』に在籍する『電装少女』の皆様方においては、
  『電糸世界』からの襲撃を警戒してください。
  万が一、光様の御身に危険が生じられた場合には、
  対象の脅威に対応し、排除してください。以上です』

 ――と、そこまでの内容を見て、六人全員の表情は変わっていた。
「あの……リーアヒルデ先生、一つ質問よろしいですか?」
「許可する」
「これは……バグ排除の依頼、ではないですよね?」
 主に呆気に取られた顔で、全員の視線が教師に集っていた。
「……そうだ。先方はあくまで〝有事の際の護衛を頼む〟と言っている」
「先生、私からも一つ、質問いたします」
 続けて沙夜が静かに手をあげた。
「許可する」
「はい。天帝の御子女が視察に参られるとのことですが、そんな話は、噂を含めて耳にした記憶がございません」
「っていうか、この依頼、いきなり今週末じゃねーかよ。センセ、まさか来年の話じゃないすよねぇ?」
「今年の今週末で正解だ、御園瑞麗。――まぁ、諸君らの疑問も最もだ。先方はなにを考えてるか知らんが、お忍びで視察とやらを行うらしい。しかもさっき言ったとおり、本日の午前中、急に決まった話だ。まったく……」
 短く嘆息する。フィノがそれに追従した。
「はー……それで、いつもより機嫌が悪くて、ツッコミも強烈だったわけですね。私さっきぶつけられた額がまだ痛むのですが」
「フィノ、それ以上の発言は減点とするぞ」
「EXEC」
 素直に黙る。すると次に、黙々と情報素子の内容を見つめていた鳴海が手をあげた。
「どうした」
「はい。先生、これは本当に政府からの依頼なんでしょうか。ざっと全体の内容を確認しましたが、なんというか、内容の詳細があまりに適当に過ぎるのですが」
「それも正解だ」
 聞けば、さらにひとつ嘆息が返ってくる。
「文脈にある、視察先の場所すら〝現状未定〟と来たからな。ハッキリ言って、この依頼内容を出してきた側も、何も知らされていないに等しいんだろう」
「なるほど、承知いたしました」
 エリスが静かに頷いた。
「これは、ウチのお嬢様のように。空気の読めない成金乳娘がいきなりワガママを申し出て、手がつけられないんですよー。もぉーや~だ~。と言った塩梅ですね?」
「大方そんなところだろう。エリス=フリージア、加点一とする」
「ありがとうございます」
「ちょーっと待ったそこ、あっ、いたあっ!?」
 裏平手【tukkomi】の甲を狙い、電糸筆の投擲【shot】が当たる。
「やかましいぞ。フィノ=トラバント」
「せんせえ……シツモンデスゥ……」
「なんだ。いきなり今晩、夢に恨んで出てきそうな顔をするな」
「……えー、あの、そのー。私、ついさっき、私の存在って一体なんなんだろう。とか思っちゃったりしたんですが、泣きながら怒ってもいいですか。いいですよね。とりあえず、エリスは今日は家に入れないんだからねっ!」
「では、今日は御夕飯を作らなくて済みますね。あぁよかった」
「作ってから出ていってぇっ!」
「ふざけないでください」
「こらそこ、痴話喧嘩は帰ってからやれ。で、他に質問はないか」
「はぁい、そもそも、なんで断んなかったんですかぁー?」
「相手は天帝の一族だぞ、無理だ」
「はいはい、ですよねー」
 退屈そうに欠伸をまじえ、瑞麗は一人コネクタを切った。
「こら、なんのつもりだ、御園瑞麗」
「センセ、オレは遠慮させてもらうから」
「みーちゃん、参加しないんですか?」
「しねーよ。メンドクサイ。つーか、電糸世界からの襲撃って、そもそもなんだよ。ハッカーによる意図的な被害たって、電糸機器以外、なんの影響もねーだろ」
「直接的にはな。それでも例年起きている『事故』のように、交通機関の信号が『内的攻撃』による通信遮断を受け、移動中に大事故が生じる、等といった例もある」
「はぁ……。バグ共が発生して、どこをエサに狙うかなんざ、地震の発生源並みに未解明って言われてんのに、いざその影響を防げなかったら、全部コッチの責任持ちですかぁー?」
「瑞麗、おまえは何が言いたいんだ?」
「はいセンセェ。アタシは、誰かを護る仕事なんざ、ぜったいに御免だって言いたいんですよー。単純にバグを殺すんなら、いつでも手伝ってやるけどさ。じゃーね」
「待て。おまえの言い分もわかるから待て」
「ありがとねセンセ。アタシの停学処置に、上と掛け合ってくれてさ。でもやっぱ、気分乗らないわ。帰る」
「みーちゃん待って! 先生申し訳ありませんっ、みーちゃんが帰るので、私も失礼しますっ! ――みーちゃんっ、腕っ、腕組んでください~っ!」
 情報窓の数がさらに一つに減って、四つ。
「……まったく、最近の女子コーセーはこれだから……」
 定型文を思わず口に出し、眉間に指を添えて嘆息する。本人もいまだ二十代半ばであり、元々は『電装少女』の類だったが、時の流れというのは無情にもヒトを変えてしまうらしかった。
「とはいえ、確かにまぁ、本件の内容には疑問が生じるところが多い。お前たちはどうする。引き受けるか否か、とりあえず正直なところを言って構わないぞ」
 言われ、鳴海と愛花、フィノとエリスがそれぞれ、ちらと目線を配らせる。
「……ミレイの言い方はアレですが、私もこの件に関しては、正直気が引けています。それから個人的なことで大変恐縮なのですが、今週末は、その――」
 ちら、と。隣に座るエリスを見る。
「お嬢様。私的な事情を持ちだしてはいけません」
「だけど今週末の映画は、貴女がずっと楽しみにしていたものでしょう?」
「ん? エリスとフィノは、どこかに出かける予定があったのか?」
「えぇ、東区にある総合『遊戯施設』の映画館へ参ろうかと思ってまして……」
「お嬢様、映画などいつでも見られるのです」
「でもエリス、その映画は一度切りの放映なのでしょう? 貴女が親愛する監督の秘蔵フィルムだったそうで、特別に一度きり、当日に遊戯施設で放映されるとか」
「お嬢様……っ!」
「倍率、凄かったのでしょう? 券が当選したことを知った当日、貴女、部屋で一日中小躍りしてたじゃないの」
「ダメっ! 言わないでお嬢様っ!」
「当選した券が手元に届いた時なんて! わざわざ百均でちょろい鍵つき倉庫なんて買ってきて幸せそうな顔して封印して! 寝る前に何度も何度も中身を確かめたりしたその度に『待ち遠しい、嗚呼待ち遠しいわ……』と恋する乙女のように呟く貴女が! それはもうちょっとうざったいぐらいに可愛かったというのにっ!!」
「お嬢様のバカアァーッ!! 空気よめーーーっ!!」
 だばーっ。
 エリスの両瞳から滂沱の涙があふれた。楚々とした佇まいの少女は突っ伏し「だんっだんっだんっ!」と、握りしめた拳で無情にも机を殴打する。
「エ、エリス!? どうしたのエリスっ! 私は事実を言ったまででしょう!?」
「もうやだこのお嬢様っ! 天然仕立てで真綿でこっちの首を絞めようとするから性質が悪い~~っ!!」
「お、落ちついて! お姉ちゃんが悪かったわ! よく分からないけどお姉ちゃんが悪かったらっ! それ以上壊れないで壊さないでっっ!!」
「うっ、えっぐ、えぐっ、お暇をいただきますぅ」
「ダメよっ! 貴女がいなくなったら、誰がウチのごはん作るっていうの!?」
「うああああああんっっ!! 実家帰るぅうぅう~~っ!!」
「だ、だめっ、らめええええぇっ!! ちょっと誰か私の可愛い義妹を止めて!」
「がんばれよ。頼れるお姉ちゃん」
「ナルミぃぃいっっ!!」
「冗談だ。おまえまで泣くな」
 離れた席で、楽しい愛憎劇を繰り広げる二人を止める。残された愛花だけが、反復する栗鼠のように「おろおろ、おろおろ!」と意味もなく視線を泳がせていた。
「――わかったわかった。おまえたちも候補から外れて構わん。予定どおり、仲良く週末デートを楽しんでこい」
 リーアヒルデの言に、四人が騒動をおさめて教師の顔を見つめた。
「先生、よろしいのですか?」
「構わんと言った。だが流石に全員が辞退するのは宜しくない。――といえば、優等生なら察してもらえると思うんだがな、赤城?」
「優等生かどうかはともかく、なんとなく、そう来るだろうなとは察してました」
「宜しい。御園愛花の方はどうだ?」
「へにゃっ!? わ、私はその……、先輩が引き受けるなら……」
 様子を窺うように、小動物的な態度で見上げてくる。鳴海は若干、なにか言い返したそうに眉をひそめたが、結局は素直に従った。
「EXEC.プレイヤー01・赤城鳴海。その依頼、お引き受けいたします」

 それから約半刻をかけ、改めて現状の依頼を確認した。礼をして退出した四人の足音が遠ざかった後、小会議室に一人残った教師は端末機を操作し、通信窓を開く。
「こちら、ジグムント=フォン=リーアヒルデです。要請されていた情報のお伝えに参りました」
『ご苦労さま』
 教師リーアヒルデが手にした端末機のウィンドウが、目前に四角い透明枠を持って広がった。中央には黒い人影が浮かんでおり、固定名として【kagemusha】と表示されている。
『確認したわ。予定どおり、プレイヤー01が引き受けてくれたみたいね』
「……光様」
「なぁに?」
 リーアヒルデは息を呑み、問いかけた。
「ご存知だったのですか? 御園瑞麗が断るのはともかく、02のパートナーに予定があったのを」
『まさか。私はただの等式としての【解】を覗いただけよ』
 肉声には遠く及ばない、合成的な電子音がくすりと笑っていた。当たり前だが【kagemusha】の表示に変化はなく、しかしその人物からは、リーアヒルデの動揺する顔が見えていたに違いない。
「……貴女にはやはり、未来が視えている、のですか?」
『肉声言語的に言えば、その表現が最も近しいわね。だけど、それではあまりにも必要不十分。別の【解】を告げるなら、そうね……』
 くすくすと、舞う蝶のように楽しげに響く声。
『〝ただの勘〟かしらね?』
「直感で世界を動かされては、ヒトはなにもできません」
『あはは。貴女はやっぱり可愛いわね、リーア』
「そんな風に告げられるのは不本意です」
『ごめんなさい』
 くすくすと、鈴のような笑い声が返る。
『ま、とにかく週末は楽しみにしておくわね。無理を聞いてくれてありがとう』
「勿体ないお言葉です」
 応じる。ともすれば、このやりとりも【kagemusha】からしてみれば、織り込み済みであったかもしれないが、
『リーア』
「え?」
 映像が切り替わる。情報保護の映像ではない、一人の生身の女性が映る。豊かな黒髪を、素朴な桜色のリボンで結い上げ、色白い肌に身につけているのは、大昔からの伝統として残る倭国式の衣裳、姫君が身につけていたという十二単」
「まだ、私のこと愛してる?」
「っ!」
「なんちて。じゃーあね~♪」
「ヒカル!」
 今度は蝶のように手を振って、無邪気に笑って。
 リーアヒルデが想いを言葉に換え、返す前にあっさり切断される。
「ちょ、待ってぇ!?」
 指が高速で画面に触れていた。条件反射で再通信を選択するも、
『現在は、電糸の届かない世界に置かれています。また後ほど改めて――』という、無情な定型文が返ってきただけだった。
「……ズルイ、ずるいぞ、バカぁ……っ!」
 耐えきれずに呟いた一声は、本日一番の苦々しさに満ちていた。

     

――【SHOW-> text.data_cybernetics_hum_CODE】――

 赤城鳴海は、今年で十七になる。
 やがて二十歳を迎えた時、没入【Dive】する能力を失い、三年後には『普通の大人』になっている予定だ。ただ一点、そうなる前に求められていることがあった。それが彼女の遺伝糸【plag_CODE】を継ぐ『子供』の存在である。
 電糸結合された赤い遺伝糸【plag_CODE】は、人工授精の応用にて『雌型』の母体に保存され、あとは一般的な胎児と同様に育つ。
 出産された赤子の両親は、戸籍上においても、きちんと二人の名が記される。
 書面上では『父親』を『雄型』、『母親』を『雌型』に置き変えるだけで、発生する国民の義務や権利においては(少なくとも倭国内においては)まったく同様の扱いがなされている。
 ただ一点異なるのが、雄型が二十歳になるまで、いわゆる『成人した』と認められる年齢になるまでは、子供の育成権利は両親に加え、『学園』にも存在するということである。この場合、両親は無条件で育成支援金を得られるなどの恩赦がある。
 ――ともあれ。倭国ではこのように『電装少女』同士の『交配』を、一切規制していないどころか、推奨している程だった。
 赤城鳴海が『電装少女』としての遺伝糸【plag_CODE】を残すかは自由だ。しかし成績優秀な『ランカー』達は、少なくとも周囲から「作ること」を望まれている。そして『学園』の生徒たちの大半もまた、同じ想いだった。

【time_Re_CORD】四月六日・午後五時五十分十一秒。曇リ。

 午後六時前。学園での通常授業を終えた放課後である。空の色が、少女の頬に浮かぶ朱のように彩られた頃合いに、鳴海は日々の義務を済ませていた。
「先輩っ! 私に、赤城先輩の赤ちゃん、産ませてくださいっ!」
「すまない、まだその予定はない」
「じゃ、じゃあ、これっ! 私の気持ちですっ!」
「有難う」
 そこは『緑』の中庭にある噴水広場。
 手渡されたのは、包装された掌に乗る小さな包み。形からして香水だろう。贈り物を丁重に受け取った後は決まって、掛け椅子の上、飾りの一つも点けていない学生鞄の隣に添えておく。それから改めて、下級生の女子生徒に向きなおり、愛想なく手を伸ばした。
「きゃーっ! ありがとうございますっ!」
 黄色い悲鳴、あるいは声援と共に、両手で感極まるように包まれる。
 曰く、握手会である。
「わ、わたしっ、先輩のこと、これからも応援してますっ! お国の正義と平和のために頑張ってくださいっっ!」
「精進する」
 返答は素っ気ない。ただ「それ」が逆にいいのだ、と言わんばかりに、女子の笑顔が色濃くなる。無垢な天使のような顔をして、感触とぬくもりを記憶素子に保存し、嬉しそうに一礼した。そんな少女が一歩離れると、すぐに次がくる。
「先輩っ! 私を一晩好きにして!」
「握手で許してほしい」
 繰り返し。熱情的なやりとりが続く。
 あと、ほんの三十人ほど、続く。
「――赤城先輩っ、私と結婚してくださいっ!」
「有難う。だが結婚の予定はない。すまない」
 淡々と握手を繰りかえす。どこぞの絡繰り人形を思わせる儀礼さに則った動作の隣では、
「フィノお姉さまっ! おしたいしてますっ!」
「ふふ、ありがとう」
 同じように列を迎える女子生徒がいる。鳴海と同じく十七歳、成績優秀、統合企業から名指しを受ける『ランカー』一名、金髪碧眼乳袋、もといフィノ=トラバント=アイリスだ。
「あら、貴女は新顔さんね? 今年入った一年生かしら?」
「えっ、わかるんですか?」
「もちろん」
 にっこり。
「今日は、貴女の大切なお時間を、私にわけてくれてありがとう」
 鳴海と違って、フィノの対応は愛想が良い。誰にでも優しく微笑みかけて、陶磁器のような指をそっと上乗せた。
「でもごめんなさい。私のオペレーターが妬いてしまうから、ここまで、ね?」
「……あぁっ!」
 それから、頬をかすめるように口付ける。小鳥が囀るような音がして、まだまだ耐性のなかった一年生は「くらっ」とよろめいて、他の「同士」に支えられた。
「まぁたいへん! 衛生兵っ! はやくこの娘を保健室へ!」
「EXEC!」
 どたばた、どたばた。
「ああ、お姉さまぁ……ら、めぇ……っ」
うわ言を放つ一名が、慣れた様子で搬送されていく。そんな光景が今日も流れる状況下において、鳴海はやはり淡々と言う。
「――有難う。しかし私は雄型だ。当面において妊娠の予定はない」

 *

「ふふ、ぬふふ。んぬふふふふ~ん!」
「ご機嫌だな、乳牛」
「ナルミっ! 今日は私の勝ちのようねっ!」
 名指しに裏平手【tukkomi】を返さないところから、確かに相当ご機嫌のようだった。
「ほらっ、ほらっ、今日の数は、私の方が二つも多いわっ!」
「おめでとう」
「もっと褒め称えてもいいんじゃないかしらねっっ!」
 大きな紙袋の中身を見せつけ、高らかに勝ち誇るフィノ。それに視線をくれず、迅速きに一途に進むのみ。
「ちょっと! 相変わらず張り合いがないわねっ!」
「今日は早く帰りたい。週末の依頼に関しての案件について更新があるかもしれないし、学園の教育免許の試験対策もしておかねばならない」
「……あいっかわらず、クソ真面目よねぇ」
「石橋を叩いて渡りたがる性分なんでな」
 にこりともせずに言う。ただ、歩む速度はフィノに合わせていた。何気ない会話を楽しむ程度、時間の浪費をする気持ちはあるらしい。
「ナルミは成人後の予定は、学園の教職者になる以外には考えてないの?」
「まぁな。なにせ、学園で取得とした教育免許は、外部でも同様に有効だ。もし学園を離れたとしても、探せる職があるのは有難い」
「……時々思うんだけど。アンタって本当に私と同い年? この学園に転校して、ナルミと知り合って二年が経つけど、未だに妙な成熟ぶりに目と耳を疑うんだけど」
「そういうフィノは、将来どうするんだ?」
「まだ考えてないわよ。卒業まであと三年もあるんだし。あまり大きな声では言えないけど、貯金もたっぷり溜まっちゃったしね」
「明日にはいきなり、紙切れ当然になってるかもしれんぞ」
「うん。可能性としては分かってるつもりなんだけどね」
 『電糸世界』のおかげで、倭国がいきなり成り上がったように。明日にも第三、第四の〝なにか〟が起こり、今までの認識が「ぐるん」とひっくり返ってしまう可能性は十分にあった。
「ところで話は変わるんだけど。今日説明された任務、本当に受けるつもり?」
「集めた三分の二、早々に辞退者が出たんだ。仕方ないだろう」
「う……、それを言われると申し訳ないんだけど……。それにしても、ほら、リーアヒルデ先生も、なんだか妙に納得するのが早かったじゃない?」
「そうか?」
「そうよ。任務の内容からしたところで、本来、私達に適しているものとは思えないし。先生はなんだかんだで、私たちの味方に回ってくれることが多いから。そもそもあんな依頼を承認しないわよ」
「相手が相手だから、無下にはできないと言ってたろ」
「まったく……ナルミは口頭と文面を、一緒に捉え過ぎな感があるわよねぇ」
「感情や機微の裏側を勘ぐって、大火傷したくないんでな」
「なにそれ、石橋叩かず落っこちた体験談?」
「かもな」
「へぇー、なにそれ、聞かせないよー。――あら、エリス、って……」
 フィノが意地悪く追及しようとした時だった。
 正門の前にたどり着いた二人の前に、エリスがいた。
丁重に頭をさげてお辞儀する。
「お嬢様、お勤めご苦労様でございました」
 一度家に帰った為か両手は空いており、私服に着替えている。
「……貴女、ちょっとどうしたの、その格好」
 フィノが訝しげに聞く。自分のオペレーターが身に着けているのは、ひらひらとした布地の衣装だ。明るい桜色で、スカートがやたらに短い。銀髪は簪で結い上げており、なにより、顔の下半分が別の布で覆われている。
「はい。こちら、くのいちでございます。ニンニン♪」
 尻から藍色のコネクタが生えている故に『電装少女』であることが分かるが、でなければ只の変質者、あるいは特殊な性癖を持った一人にしか見えない。
「……貴女、また変なもの見たのね……」
「変なものではございませんっ!」
 ニンニン(怒)! ――海外から訪れる者たちの中には時折〝倭国かぶれ〟と呼ばれる症状を発する者達がいる。「サムライ」「ニンジャ」「ハラキリ」などの単語に異常な興味を示し、幼子たちが「正義の味方」や「お姫様」に憧れるのと同じく、嬉々としてその立ち振る舞いを身に着ける者達。
「お嬢な親方様。テメェのお荷物、この御身に頂戴いたしますので、とっとと余越しやがってくださいませっ」
「はいはい……。なんか腹も立つけどわかったわよ。はい」
「あーりーがーたーやー」
 片膝をつき、恭しく頂戴するように両手を伸ばす。――〝倭国かぶれ〟に共通する事であるが、彼女らは何故か意図的に〝間違った知識〟を享受することが多い。
「それにしてもね、エリス。古典的映画や文学に感銘を受けるのはいいけど。いくらなんでも節操なしに真似しちゃ駄目でしょう。その短いスカートも、淑女たる身の在り方にしては、はしたないわよ」
「え? くのいちに色気は必須なんですよ?」
「だから、お願いだから! 一般的な良識に基づいて話をしなさいっ!」
「お嬢様に言われるのは心外です」
「わ、私に良識がないわけないみたいに言わないでよねっ!」
 ぷんすか(怒)!
「この私は、優しくて美人で良識があって人望があって――今日は鳴海よりも二つばかり人気のある、頼れるお姉さんなのよっっ!!」
「存じております。お嬢様の魅力は十割すべて、その乳に詰まってございます」
「ほ、他にだって魅力あるでしょっ!?」
「……尻?」
「エリスぅっ! 罰として来月のお小遣い抜きっ!」
「な、なんという悪行をっ!? 本国の旦那さまに言いつけてやりますっ!」
「それはこっちの台詞よっ!」
「お嬢様のバーカバーカバーカ!」
「エリスのバーカバーカバーカ!」
 正門前で、そんなやりとりをする二人を見て。
「仲が良いな」
 鳴海は一人、頷くだけだった。

 *

 『電装学園』の女子生徒たちは、そのほとんどが寮生だ。寮とその周辺は最新型の電糸設備が整っていて、独身寮と既婚者寮にも分かれている為に、女学生からも「住みやすい。むしろ実家がここでいい」と人気が高い。
 そんな中、赤城鳴海は伊播磨市に実家を持つ少数派の地元民である。家の先祖を辿れば、電糸化がはじまる以前、土地が枯れ果てていた頃からの先住民だった。
 今、伊播磨市の土地価格は上昇の一途を辿っている。対象の土地が猫の額ほどの大きさであったとしても、権利を買うだけで最低数億は飛ぶと言われている。
 そんな理由があって。家は旧いが、敷地だけはたっぷりと広い赤城家には、よくよく好まぬ来客が押し寄せるのだ。
「――お嬢さん、キミ、一人なの? 良かったら、ちょーっと、お話してもらえないかなぁー?」
「……あ、あう、あ、えと……ダメです。ここは、売らないのですっ!」
「いやいやいや、そういう気持ちで来たわけじゃなくて、まずはちょっとお話をと思ってるだけで――」
「だ、だから、それもダメ……あっ」
「えっ?」
「――失礼ですが、帰っていただけますか」
「おわっ!?」
 春の陽気に似合わぬ、木枯らしのように冷たく、低い声。
「な、なななっ?」
 望まぬ来客者は、新手の気配に対して、のけぞった背筋を隠すように振り向いた。しかし強張っていた顔は、相手の美貌もあって大きく目を見開くものに変わり、薄れた恐怖心と露骨な商売魂が、軽薄な笑顔となって表れる。
「あ、こちらお姉さんで――」
「帰っていただけますか」
 冷ややかに、一閃。
 美人の外見は毒にも薬にも変わる。とりわけ、毒となる方は劇薬だ。おまけに彼女は数年前からこの手の訪問に慣れきっており、もう一方の世界では日々『実戦』を経験している。
「い、いやせめて、一言、話を、」
「それ以上の発言は、然るべき機関に連絡させて頂きます」
 その度胸と胆力は歴戦の兵士と比べても遜色はない。懐から携帯端末機を取りだして告げる。
「『学園』に名を連ねる、伊播磨市の警備部隊は、田舎の警察よりもよほど優秀です。とりわけ、この町に拠点をかまえる、悪質な不動産業者の話を耳にすれば即座に動き、電糸世界への通信を禁止するでしょう」
「……え」
「迅速きに行動する者だけが勝利する。――どうしますか?」
「う、うあぁ、すいませんっしたぁー!?」
 短縮番号に、指がそえられた瞬間、客は脱兎のごとく駆けていた。その背中が完全に見えなくなったところで、
「話のわかる相手で助かったな」
嘯いて、表情を変えずに同居人へと振りかえる。白い割烹着に着替えた少女は、すこし申し訳なさげに、相変わらず自信のない、小動物の態で見上げてくる。
「お、おかえりなさいっ、赤城、先輩っ!」
「……」
 答えなかった。ただ一歩、敷居を潜り、中庭へ足を踏み入れ、見つめる。するとどこか、幼き新妻にも想える少女が、はたと気がついたように言い直す。
「お、おかえりなさい、鳴海、さん……」
「ただいま、愛花」
 ふと微笑んだ。たった一人にだけ見せる笑みを近づけ、ほんの少し屈んで、頬の上に手を添える。反対には、代わりとなる口付けを落として染めた。

 中庭を抜け、家の格子戸を開いたところで、ふわりと夕餉の香りがした。
「あ、ちょうど晩ごはん作ってたんですよっ! 今日は麻婆豆腐に初挑戦してみましたっ!」
「一人でか?」
「? そうですよ。この家、他に誰もいないじゃないですか」
「初挑戦か……愛花、ちゃんと教本を見ながら作ったか?」
「見ながら作りましたよっ!」
 鳴海の言いたいことを察して、愛花が頬を膨らませる。
「心配なら、せんぱ――鳴海さんは、外でお食事してきたらどうですかっ!」
「そんな勿体ないことはしない。ただ、前もっての味見だけは許してくれ」
「むぅ……」
 とても微妙に納得がいかない、十四歳の新妻もどきは、褐色のコネクタをふりふりと左右に振りながら、室内用の上履きに足を通した。鳴海も続く。
 居間と厨房が、間仕切りになった二十畳ほどの部屋。
 火を止めた電糸調理器、その上に乗っかる圧力鍋を覗き込むと、まずは豆板醤の香りに次いで、細かく刻んだニンニクの香りがした。
「ふむ」
 具材は絹豆腐に、ひき肉にした豚肉、やや大きめに切った茄子の三種。側のまな板の上には、細かく輪切りにした葱が透明の器に入っているのが見える。後から適量を好みで振れ、ということだろう。
「よし、見た目は問題ないな」
「……それ、鳴海さん流の冗談ですか?」
「いや、問題は味の方だ」
「ちぇすとぉ!」
 どす、と。
 十四歳新妻の正拳突きが、無防備な脇に刺さる。痛くはない。
「鳴海さんはっ、ご飯を作ってくれてありがとう、の一言も言えないんですかっ」
「ご飯を作ってくれてありがとう」
「むぅっ!」
 なんですか、もしかしてやっぱり、小馬鹿にされてるんですかね私。という風にむくれる。それを一瞥だけして、笑みの形になりかけた口元を隠すように、近くに置いてあった木ヘラを手に取った。一口救う。
「あぁっ! 今からそれ使おうと思ってたのにっ! もぉ! 唾つけないでくださいよっ! 鳴海さんっ」
「ンマい」
「んまいっ、じゃありませんっ!」
 ちぇすと! 二発目。痛くはない。

 夕飯を二人で取り、後片付けを終えた後には、陽はすっかり落ちていた。そして食事をしたあとは勉学の時間と決めてある。
 同じ居間で、二人は頭をもう一仕事させる。畳敷きの和室には食事をとった机とは別に、隣室から運んできた電糸板が三枚、部屋の半分を占めるように並んでいた。
 鳴海が昔ながらの紙媒体の教本を開き、用意しておいた紙面の上で設問を解き、要と思える一行に下線を引き、頁に付箋を貼るのに対し、愛花は一心に電糸板と見つめ合うだけだった。
「こうかな」
 ふと呟き、電糸筆をその場で振るう。
 愛花の意識野にある指方向性を読み取り、離れた場所に並ぶ電糸板の上に、数式が加えられていく。すると幾何学的な数式たちは自ら率先して列を正しはじめた。誤解と判断された【log】は板の裏側に隠れ、新たな等号が左右の式と結合する。
「仮説a4とb5を元に、真の証明になりえる可能性を提示。仮名称と共に新規保存【save】。電糸世界の〝学術共有層〟に投下してくださいな」
【EXEC.MY・LORD】
 さらに立体投影で表示された小窓が追加される。「準備ができました。保存してもよろしいですか?」と記された構文【CODE】に了承する。
 新たな仮説が電糸世界を巡るまで、約三秒。
『EXECUTION.』
 無事に実行できたことを電糸板は告げる。
「ふにゃ~。おわった~」
 緩みきった声をあげ、ぽちぽちと、遠隔操作で処理を終了させていく。電糸世界との繋がりが途切れ、それがただの白い板に変わると、最後に繋いでおいた自らのコネクタを切断し、ごろごろと床の上を転がった。
「今日のおべんきょ~は、おしまいでぇーすー」
「……愛花のは〝勉強〟というよりは、もはや研究的な何かだな」
「ふぇ~?」
 上体だけを持ちあげて、だらしなく顎だけを机上に乗せる。
「ふぁるひふぁんは、ふぁにひへるんれふは~?」
「おまえは総入れ歯のお婆ちゃんか」
「ふぇ~い」
 引っ込む。冬はこたつに姿を変える四脚椅子の間を、愛花は珍獣「つちのこ」のようにうねうね進み、向かいで正座している鳴海の下に現れる。
「充電~」
「私はまだ学習の途中なんだが」
「ひっざまっくら♪ ひっざまっくら♪」
「こっちの都合はお構いなしか?」
「私、晩ごはん作ったでしょ~」
 それが免罪符と言わんばかりに、現役の数学者と並ぶ頭脳を持つ十四歳の少女は、ぺちぺちと鳴海の膝を叩いてくる。
「やれやれ」
 鳴海は教本を閉じ、膝を崩して受け入れる。愛花は早速頭を乗せたくるも、それだけに留まらず、両膝から腰元へ、さらに背中、首筋へと伸びてゆき、最終的にはぎゅぅっと、すっかり抱き留める形になった。
「えへへ、私頑張りました」
「そうだな」
 小さな背を受け止めるべく腕を回し、片方の手は、小さな頭をやさしく撫でる。すると愛花は、胸中に顔を埋めて幸せそうに笑み、コネクタを揺らして悦んだ。
「そろそろ切り上げて、風呂にでも入るか?」
「ですねぇ」

 かぽーん。
 何故かそんな擬音が似合う、IN・THE・風呂。
「やっぱり、シャワーじゃなくて、湯船がいいですよね~っ」
「一日の疲れを落とすにはな」
 身体を洗い終えた愛花が「ちゃぷん」と音を立て、鳴海に寄りかかる姿勢で肩まで浸かった。
「むむむ、しかし先ほども想ったのですが」
「どうした?」
 後ろに振り向き、それから確かめるように、なんどか背を揺らす。
「……鳴海さんって、本当に胸がな――ひにゃんっ!?」
「貴様の年齢以上の発育の良さをわけてもらえるなら、あやかりたいが」
「や、らめぇっ! 胸と耳元一緒はだめです鳴海さんっ! のぼせちゃいますっ!」
「余計な発言は慎むように。返事」
「EXECっ!」
 水面に波紋がいくつか生じ、白い湯気の中に、熱い吐息が混じる。それらは、ほんの少し開いた窓から逃げ、楽しげな想いと共に消えていく。
「…………愛花」
「はい?」
 やがて、戯れが終わって囁いた。
「抱きたい」
 大切な身体を寄せながら心の内を言葉にした。すると、二人の腹と背ではさんだ、少女のコネクタが、ぴくりと緊張したのを感じてしまう。
「……ダメ、か?」
 それでも諦めきれず、欲が覗く。細い少女のうなじに顔を落とし、強く瞼を閉じていた。返ってくる言葉が待ち遠しくて仕方なく、拒絶を聞くのも怖くてたまらないといった気持ちになりながら、黙って待った。
 返事はなく、ただ身じろぎされた。肌の感触とコネクタの感触が遠のき、断られたのかと思って目を開くと、けれどそこには、鳴海の方へと向きを変えた少女がいた。
「直情的、過ぎると思いますけど……」
 おそらく同じぐらい、顔が赤い。湯気とも水滴とも呼べるかもしれない、潤んだ瞳と頬が近づいた。
「ダメじゃない、ですよ……?」
 近づいて、湿った唇が重なった――。

     

 ――【CONNECTION.with.YOU】――

 たったひとつの灯りさえもない。けれど夜目はすぐに利きはじめ、お互いの肌の色から、赤く染まった表情までも見えている。
「えぇと、鳴海さん……」
 いつもの様に、二階の和室にお布団を一組敷き終えた。寝間着は脱いで、枕元で仲良く畳まれている。
「……しましょうか」
 窓を閉めていても、春の夜風は少し冷える。けれど肌の上には汗が浮き、ひりつくような熱を発散していた。
「あ、あの……、あまり痛くしないでくださいね……?」
 同じ屋根の下で暮らしはじめれば、相手の肌も見慣れてくる。つい半刻前も同じ湯船に浸かり、直接的に触れ合ったばかりだ。なのに、
「やっぱりこの瞬間って、どきどき、しますよね……」
「あぁ、初めてじゃないのにな」
 包まって、どちらともなく、声をかける。
「愛花、私が下になろうか。上から被さると重いだろう?」
「え、えと、実はこっちの方がいいかなって」
「そうか」
「は、はい……あのですね、鳴海さんに、上から、ぎゅむってされる圧迫感みたいのが、とっても良いというか……」
「ならこの体制でいこう。――印【marking】をつけるぞ」
「……ど、どうぞ……」
 肌触れる。『交配』をより高い確率で成功させるには、少女二人の意識が強く、より深くまで共鳴している必要があった。混じり合った水を数えられないように、一つになる。
「ひゃうんっ!」
 甘い嬌声の声。舌先でなぞり、相手の感覚野に触れる。しっとりと火照る熱を共有する。
「な、鳴海さんっ! そこっ、ひぅっ! あ、あんまり、なめちゃ、やぁっ!」
「愛花、意識野がずれる。じっとしていろ」
「わ、わかってますけどっ、だけど……っ!」
 涙目になって抵抗する。
「……気持ち、よすぎて……」
「感度制御の構文【CODE】を落としてくるか?」
「それは、いいです……。ちゃんと、鳴海さんを感じたいから……」
「なら、毛布を噛んで耐えれいろ。汚れても構わないから」
「うぅ……。どう考えても『雄型』の方が得だと思うんですよね……」
「子供を胎内に宿さないからか?」
「いえ、そうじゃなくて、恥ずかしさの度合いと言いますか……」
「そんなものすぐに振り切れる。……ほら」
「あっ、ふゃああぁぁあっ!」
 耳朶を食んで、ふくらんだ胸を弄う。浮き出た鎖骨をなぞり、腹の上を通り、口を付けて『印』をつける。そして、行為においてもっとも大切な場所を舐める。
「あ、あっ、あっあっあっ、だ、だめ、そこっ!!」
 言われた通り毛布を噛んで耐えようとするも、しかし腰はそぞろ振るえ、太腿で苦しげに敷き布団を踏みつける。
「な、るみひゃ……っ、うぅ、そんらとこ、ばっかひ、ぺろぺろひひゃ……!」
「ん……。しかしここは、最も『印』の効果が期待される場所だ。保険の座学で習ったはずだろう?」
「そ、そうですけど……っ! でも、でもっ!」
「なにか問題があるか?」
「や、やらしい……」
「は?」
「鳴海さんの『印』の付け方、や、やらしいんですっ!」
「ぺろぺろ」
「可愛く言ったって……や、らめえ! おへそっ、ムズムズってするのダメっ!」
 臍部ぺろぺろ。そこは胎児と母親が直接的に繋がる場所であり、臍の尾を通じて、栄養素をやりとりする重要な器官としても知られている。
 そして『電装少女』が遺伝糸【plag_CODE】を挿入する際、もっとも色濃く『行為の記録』が残る部分が臍だった。
 ――『交配』の前戯となる印【Marking】を付ける際には、雄型の貴女は、相手のおへそを重点的にぺろりましょう――保険体育の教本『赤ちゃんを作ろう!』にはそのように書かれている。
「うにゃあぁ……っ! も、もうらめっ、赤ちゃんできちゃう……っ!」
「作るのはこれからだがな」
 やがて感極まったように胸を上下させ、はぁはぁと喘ぐ少女の顔を見て、雄型の彼女は愛撫するのをやめた。こちらもまた熱を帯びた声で問いかける。
「愛花、繋ぐよ」
「……」
 ほんの少し顎をひき、両手を伸ばして背を抱いた。目を閉じた。上体をずらし、臍に触れていた顔をあげ、被さるように重なった。
「重くないか?」
「……だ、だいじょうぶ、です……そ、れより、鳴海さん……」
「なんだ」
「や、やっぱり、ちょびっと、怖かったりもする、ので……」
「あぁ」
「……キス、してもらってもいいですか……?」
 口腔を繋ぎ合わせる。
「んぁ、ん、ん、んぅう……んっ!」
 幾分にも荒々しく。理性と野生を分かつ寸でのところ。肌と密着し、二人の後ろから生えた特別なコネクタもまた、惹かれるようにゆらめいた。くるくると捩じり、相手のそれと絡み合わせていく。
 ぴり、ぱちり。
 現実の人体に、甘色に帯びた電糸が奔る。
「は、あっ、んっ、んああぁっ!」
「……っ!」
 それは心地良さを超えた、強い快楽の信号。知能が退化し、それだけを求める想いが強くなる。触れあう。息を漏らすのも苦しくなるほど、口付け合う。
『…………!』
 黒と、三毛のコネクタも相手を縛り合った。
 残されたのは、もう一つの世界への扉となる挿入口。
 雄と雌。二種類に分かたれた部位が、カチリ、と触れる。
「……あ、あ、あ……っ!」
 流れていく。
 種を構成する構造【plag】が、どくん、どくんと流れ込んでいく。
 細胞を分裂する、誕生の過程【process】が始まろうとした、ところで、

『……、い、やっ、ヤダ……こ……わ、ぃ……、怖いよぉ……っ』

 拒絶の声【fatal_ERROR】と。
『交配』を強制終了【shutdown】させる電糸音が、響いて。
 絡みあっていたコネクタは、怖れるように、離れる。
「…………ぁ」
 急に引き裂かれた肉体と精神の安定性を求め、意識が、墜ちた。

     

 ――【CONNECTION.to->world.REAL】――

 可視光線の範囲が、拡大を始めた。
 朝日はまだ山の向こうだが、空はゆっくりと明るくなっていく。
 早朝。赤城鳴海は、朝の五時前に起床する。乳の大きな友人から言わせると「アンタは六十を超えたおばあちゃんか!?」との事であるが、鳴海は物心ついて以来ずっと、そういう祖母と二人で、広い家で静かに暮らしてきたのだった。

 ――【SHOW-> text.data_cybernetics_hum_CODE】――

 赤城鳴海は両親の顔を知らない。身内と呼べるヒトは祖母しか知らない。だから、まだほんの少女だった鳴海は聞いたことがあった。「おばあちゃんは、どうして、ひとりなの?」と。子供ながらの無邪気さと残酷さで問いかけた。
 寡黙な女性である祖母は静かに答えた。淡々と、祖父は病気で亡くなり、鳴海にとっての母親で、祖母にとっての娘は昔、この国の外へ出ていった。一度だけ赤子を抱いて家に戻り、また何処かへ旅立ったのよ。
 そんな祖母もまた、今から二年前に亡くなった。
「……お墓もお仏壇もいらないよ。冥福なんて祈らなくていい。ただ、だまって見送って、お骨は海に流して頂戴な」
 今際の最期に残した言葉もまた、淡々としたものだった。

 ――【CONNECTION.to->world.REAL】――

 赤城鳴海は愚直で不器用だ。
 一日の生活の流れは、祖母が生きていた時から変わってない。だから、今日も五時前に起きて、さっと着替えて家を出た。
 祖母は毎朝家事をこなし、さらに家を隅々まで掃除していたが、それを鳴海に手伝うように言うことは無かった。だから、退屈ではあった。
 勉学の復習と予習は前日のうちに済ませていたし、どうせ学校に行けば嫌でも勉強をするのだから、朝の時間を使ってまで勉強をするのはさすがに億劫だった。とはいえ、祖母のように掃除をするというのも、なんだかつまらない。
 ――それで、朝やけの中を走った。
 太陽が昇る前、一刻に満たない時間を駆けていた。
「……はっ、はっ、……っ」
 世界が不思議な静けさと、やさしさに包まれる時間。その世界の下で汗をかき、吐息を乱し、心拍数をあげて、脳がひしりと焼きつく。
「……はっ、はっ、……っ」
 それが心地良いと思うから、鳴海は想う。
 自分もまた、祖母とよく似ている。
 趣味らしい趣味もなく、淡々と日々の作業をこなして生きるだけ。
 非才であるが故に、己を磨き続ける。
「……はっ、はっ、……っ」
 祖母の骨は遺言のとおり海に流した。もう家の何処にも、彼女はいない。
 その死を以て、どこか遠い所へと旅立ち〝至った〟のだと、想う。
「……はっ、はっ、……っ」
 『電装少女』の素質を見出され、奨学金を得る代わり『コネクタ』を植える手術を終えて、七歳の歳月が経った。その間に企業から指名を受ける『プレイヤー』として名を連ね、自分と相性の良い専属の『オペレーター』を学園側が選出した。いずれその相手と『交配』を行い、相手に次世代の『電装少女』を産みつける事を望まれた。
「……はっ、はっ、……っ」
 淡々と。この両足で道を進んでいくように。
 いつか祖母と同じ場所へ〝至れる〟ように、彼女は子供を作ろうと想った。

「――よぉ、鳴海」

 赤城鳴海は、河原道から高架道路へと続く高台へ向け走っていた。その中間点、あるいは折り返しと決めていた都合三キロの地点に、御園瑞麗がいた。
「まーた馬鹿みたいに走ってんのか。溶けるぞ、ってか溶けちまえ」
 そこは小さな児童公園だった。見知った不良生徒の一人は、棒のついた飴を口に含んで、ジャングルジムのてっぺんに座っていた。制服姿のままだった。
「アタシの妹は孕んだか?」
「……余計な挑発がしたいなら、また今度にしろ」
 適当に言いかえして、昔ながらの水飲み場に近づく。足を踏み込んで水を出し、口元を潤していると、後ろから「ざっ!」と砂利を散らす音がした。振りかえると、遊具の上から飛び降りたらしい瑞麗が、すぐ後ろで嗤っている。
「無視すんなよなぁ」
 真紅のコネクタを鋭く翻し、屈伸した姿勢から軽やかに立ちあがる。
「せっかく待ってたのによ。鳴海に無視されると寂しいじゃんか」
「知るか。勝手に寂しがってろ。バカが」
「ろっちゃんイカ、一緒に食おーぜ」
「……は?」
「駄菓子だよ、駄菓子」
 気まぐれで、今だけは機嫌がいいらしい問題児の左手には、茶色い紐のついた紙袋が握られていた。やや薄れた赤い印字で『安藤商店』とある。
「安藤んとこのババァな、来月に店閉めんだってさ」
 がさごそと、袋の中を探りながら瑞麗が言った。
「ま、今は馬鹿みたいな値段で土地が売れてっからな。店売った金で別んとこに越して、息子夫婦と仲良くやるんだとさ」
「そうか。というかおまえ、なんでそんなに詳しいんだ」
「停学中暇だから、茶飲み相手になってやってた」
「なってもらってたの間違いだろ、安藤さん気の毒に……」
「うるせぇな。ほれ、食え」
 あきれてため息をこぼす鳴海の前に、薄い袋に入った駄菓子が無理やり渡される。瑞麗も別の駄菓子を取って封を切った。
「わさび三郎って、十銭ぽっちの癖に、すげぇ美味いよな」
「……五銭チョコはないのか?」
「欲しけりゃ回って鳴けよボケ。――あぁ、はいはい。冗談ですよ冗談、ほれ」
「早速割れてるんだが」
「美味けりゃいいだろ。感謝して食えよ」
「……そうだな、ありがとう」
 素直に礼を言って、鳴海もまた封を切る。瑞麗がそのまま空袋を捨てたので、ゴミを捨てるなと説教し、ちゃんと「燃えないゴミ」箱に捨てておいた。

 *
 
 ――ぴゅーぴゅー、ぴぃー、ぴぃー。
 間の抜けた音の元は、瑞麗の口にある「倭笛ラムネ」だ。ひとしきり吹いて飽きたのか、最後に「ぱきり」と噛み砕き、呑みほす。
「もうこの辺りさぁ、昔の店とか、ほとんど残ってねぇよなぁ」
「私たちが生まれた時には、もう随分変わってたと聞くがな」
「この公園もなくなんのかな」
「かもしれん。噂によれば、電糸ユニットを生成する企業の一角をまた新しく受け入れる方針らしいからな」
「ふぅん」
「この辺りは交通の便も悪くない。これだけの敷地面積があれば、駐車場なり、社員寮なりにと、色々な用途が考えられる」
「新しい駄菓子屋が建つといいよな」
「……元公園の空き地を整地して、駄菓子屋を立てる理由を聞いてやろう」
「アタシが駄菓子くいたいから」
「素直に大型量販店で買え。もしくは電糸域に繋いで分類店から取り寄せろ」
「よし鳴海、ここに駄菓子屋建てろ。アタシが毎日通って茶ぁ飲んでやる」
「ヒトの話を聞いとんのか貴様」
「なんだよー。金はたっぷり稼いで余ってんだろー。道楽の店を一軒ぐらい持つ気概見せろやケチ女ー」
「うるさい。私の人生と貯金をおまえの道楽に付きあわせるな。自分で建てろ」
「あ、鳴海、一口プリン食う?」
「ヒトの話を……」
「聞いてるよ。ちゃんと、聞いてる」
 ぺきっ、と音を立てて封を外す。口の中に放り込んで、容器を投げ捨てる。
「……だから、ゴミを捨て――」
 言いかけ、屈みかけた時だった。強く、肌着の胸ぐらを手前に引っ張られた。強引に、無理やり舌を入れられた。
「ッ!?」
 ぬるり、とした感触が来る。鳴海が反射的に両手で押し退けると、華奢な身体がそのまま後ろに傾ぎ、たたらを踏んだ。口元を黄色く汚し、孤月に浮かべた相手が笑っている。
「――昔に戻りたいなぁ」
 これから朝を迎えるのとは、真逆。
 光が収束して、消えていく。
「食って、眠って。時々は一日中何もせず、遊んだりして……。子供を作るっていうのも、なにかの義務や使命じゃなくて。単純に、好きな相手との子供を産むってことで、同じ家に住んで、暮らしていくんだっていう、それぐらいの理解だった頃に」
「み、」
「なぁ鳴海。どうして、アタシを引き留めてくれなかった?」
 まっくらな瞳。奥にあるのは怒りと哀しみと、悔しさだった。 両手を下腹部に添えるように重ね置き、笑って戦慄いた。
「まぁ、役にたたないゴミなら、見向きしないでも仕方ないか」
「違う、おまえは……」
「違わねぇだろ。鳴海は、アタシのクソ親や、研究者の連中と一緒だ。アタシに子供が産めないと分かると、さっさと新しい候補に乗り換えやがった。しかも、それが実の妹と来たもんだ」
「…………」
 言の穂を紡げず、俯いた。
 肯定はできずとも、否定もできない。
 どうしようもなかった事を、嘆いてあきらめきれないのは子供だ。けれど、そんな彼女を救済せず追い詰め、憎悪に折れ曲がらせてしまったのは、
「――鳴海だ。アタシにトドメをさしたのは、アンタだ」
「だったら、瑞麗こそどうなんだ……?」
 睨み返す。言葉の棘が突き刺さっても、ここまで培ってきた道は、それで容易く折れるほど弱くない。
「愛されたい、大事にして欲しい。そう叫ぶばかりで、自分からその環境を作ろうとしない。対価を得ようとするばかりだ。おまえの言う通り、そんな奴は、ただの傍迷惑なゴミだろうさ」
「……ッ!」
「だけど言っておくぞ。去年まで、私は間違いなくおまえと『子供』を作りたいと願ってた。……瑞麗に子供が出来ないと分かった時、私だって、おまえ程ではないかもしれんが辛かった。本当に辛かったんだぞ」
「……それで今度は愛花かよ。この節操なしの『雄型』がっ」
「蒼月沙夜と組んでるおまえに言われたくないがな」
「ッ……なら、愛花との間にできた子供は、どうする気だよ……」
「もちろん、『雄型』である私が、世間でいうところの『父親』を担うつもりだ。私が三年後に成人し『電装少女』でなくなれば、正式な親権が『学園』から譲渡される。その時のために、今から教育免許を――」
「あーはいはい……。ったく、相変わらず、馬鹿正直な馬鹿だな、鳴海は」
 鳴海の言葉を鼻で笑い、苛正しげに駄菓子を入れた袋をがさごそ漁った。
 取り出したのは「うめぇ棒」だ。ぼりぼり食う。
「ふぉい鳴海、子供できふぁら、あらひにもだっこさせろよぼけぇ」
「食いながら喋るな。私にも一本寄越せ。コーンポタージュ味で構わんぞ」
「んぐ、やらねぇよ。つーか一番人気じゃねぇかそれ。……まぁいいや、ついでに一個、アタシからも質問しとく」
「なんだ?」
「鳴海はさ――これからは電糸世界が、現実世界に移行【shift】する可能性があるって噂、知ってるか?」
「知らんがそんなことはありえないだろ。電糸世界は、現実世界からの構造【CODE】で模倣された世界だ。現実が消えれば電糸世界も消える以上、立場が逆転することは起こりえない」
「その〝消えること〟ってのが、実際に起きると想うか?」
「……なに?」
「今の電糸世界は、世界中のあらゆる電糸通信機器で構成されてる。けど、一つでも壊れりゃ大損だ。莫大な損失を許容して、一体誰が、電糸世界との接続を断ち切るんだ? それとも世界中の皆に合図して『いっせーのせっ!』で、すべての電糸通信機器が同時に打ち切れると想うか? それで、なんか良い事あるか?」
「それは……」
「ねぇだろ? 現実世界に生きる人間はもう、電糸世界に依存しなきゃやってけない。でも現状は、物理的な要因がすべて現実世界に存在する、ってだけのことだ。そんで話を戻すとだな」
 ぼりぼり。「うめぇ棒」二本目。
「電糸世界の中で、まったく新しい構文【new_CODE】を産みだそうって話がある」
「……魔法【spell_CODE】による『改変』じゃなくてか?」
「違う。アレは結局、主体となる現実世界の物理法則を参照した構文【CODE】、そこから引き出される〝戻り値〟を、一時的に別の値に置き変えてるだけだ。
新しい構文【new_CODE】はそもそも、『電装少女』らの武装【weapon_CODE】みたいなモンにする予定らしい。それ自体が可変型【variability_CODE】の特徴を持っていて、かつ、値を付与される側でなく、付与する側になる」
 ぼりぼり。三本目。
「――つまり「力学」的な概念に支配されちゃいるが、実際には、重さや抵抗値が存在しない電糸世界のみで通用する、新しい【力】の概念を作っちまおうってワケ。
 今でこそ、アタシらが〝ゆりかご〟を使って、深層意識野の一部を構文【CODE】化させ、この現実から電糸の中へ没入【Dive】してっけど。その新しい【力】が完成すれば、電糸世世界を主体とする、【電装少女的な存在】も作れる。
そしたら、あとはそいつらに異形【bug_CODE】退治させりゃいい。莫大な金と手間使ってまで、アタシらを没入【Dive】させんで済むだろ。って話よ」
「……そんなことが……可能なのか?」
「さぁな。まだまだ仮定の話であることは確かだよ。でもそれが成功すりゃあ、今度は続けて、新しいその【力】を、現実にフィードバックさせる手段を探す。それも成功したとすれば、最終的にこっち――現実世界をも改変する【電装少女的な存在】ができるかもしれん。ってなわけで、夢が広がる話だろ?」
「……途方もないがな。その【力】、なにか名称的なものは無いのか」
「ある。旧暦世界に、仮想的な【力】の根源として名称付けられてた【Ether】っつーのがそれだ。神様の意志が、この世界を支えてる。そんな、おとぎ話だ」

 *

【time_Re_CODE】四月七日・午前五時三十五分四秒。
【place_CODE】伊播磨市・中央区・樹上【on_the_tree】。

「あああぁっっ!! なんなのもお! せっかく〝修羅場キタコレぇ!〟って想ったのに。仲良くイチャラブトークしやがって……。もっと争えっ、醜く罵りあえっ、今日の朝刊の一面を華々しく飾れってのっ!」
 早朝五時半。伊播磨中央区、高台の道沿いにある児童公園。その全景を見渡せる広葉樹の上に、事実身を隠している女子がいた。結い上げた黒髪にやや褐色色の少女は、旧世界の映像保存機【camera】を構え、幹に背を預けて嘆息する。
「はぁー。アンタらの醜い争いが、虎子さんのおぜぜになんのよ、わかってんの?」
 勝手なことを言う少女もまた『学園』の制服を纏っていた。後ろからは黄色と黒の、縞模様のコネクタが生え、不満そうに揺れている。
「あーあ。ビンタの一発でも入ってりゃ、決定的特ダネだったのになぁ。瑞麗ってば不良ぶってる癖に、ただの乙女だわ。ま、ボンボンのお嬢様だから仕方ないか」
 少女――黒鋼虎子(くろがねとらこ)は、これ以上の録画をあきらめ、手にした保存機を巻き戻す。きちんと録画されていることを確認する。
「……ま、これが撮れたから充分かな?」
 改めて見返した画像には、距離があるため、音声は正確に拾えていないものの、瑞麗がが半ば強引に、鳴海と接吻する光景が映っている。そこからの言動は不透明であるが、瑞麗がなにやら一方的に怒り、鳴海がいつものように淡々と言を繋ぎ、そしてお互いに別の事柄について会話している様子が読みとれた。
「状況が詳しくわかんない方が、尾ひれ、背びれがついて、旨味があるか」
 ぐふふふふ、と厭らしく笑う。
「役得役得。〝蒼月沙夜と御園瑞麗がお泊りした宿〟は突き止められんなかったけど、運よく一人で朝帰りする瑞麗を見かけ、こっそり後を追いかけてきた甲斐があったってもんよねぇ」
 下種な発言を次々に述べて、綻ぶ。
「そうだ、見出しと続く一文考えておかなきゃね。んー……『元パートナー、隠れて交際継続中!?』赤城鳴海と御園瑞麗が、新しいパートナーを放置して、よりを戻そうと動いている模様! 嗚呼! 今だけは見逃してマリア様ぁっ!」
 一人、樹上で盛り上がっていると、
 ――「ファンファンファンファン!」と。なにやら赤い警報機を回した、白い車が近づいてくる。
「ん? 新しい事件かしら。よっしゃ、じゃもういっちょ特ダネ入手といこかな!」
 ぐいっと、左手の腕章――『乙女諜報部』と書かれている――を持ちあげて、警報機を鳴らす車の行き先を追いかけようとしたところ、
「……ん? なんかえらい近いわねぇ。っていうかこっち近づいて――」
「あそこです! おまわりさーん! 変態盗撮魔が、そこの樹の上にいますっ!」
「へ?」
 身をひねると、背後にあった集合住宅の一室から、虎子が隠れていた樹を指で示している住人がいた。
「――『学園』の生徒ですっ! 逮捕して、然るべき処置を取ってくださいっ!」
「げええええっ!!?」
 なんということでしょう。
 近くで事件が起きてると想ったら、通報されたの私でした。か・し・こ。
「おまわりさん! 急いで! 急いでそこのゲス変態女を捕まえて!」
「フッ……フフ……バカな一般人めが。この虎子さんを、そこらのゲス変態女と一緒にしてくれては困るなあぁっ!」
 迅速万雷。迅速きに劣るものは、すべてに劣るという電糸世界の掟を胸に。
「はぁっ!」
 虎子は飛び降りた。高さ十メートルはあろうかという木の上から一息に。
「ふっ!」
 落下の途中、がしっ、がしっと、横に伸びた太い枝をつかみ速度を殺す。倭国の暗殺部隊「ニンジャ」の如く、芸達者な身の振りで一般路に無事着地。
「しゅたっ!」
 さらに高速の横っ飛びで、止めておいた、黄色い自動二輪に跨ぐ。コネクタを繋ぎ、電糸世界から特定の鍵【key_CODE】を呼び出した。
 心音起動!【engine_stand_by!】。
「さて! んじゃーここは素直に撤退して、学校の方で映像の編集作業でもするとしましょうかねぇっ!」
 全力稼働。自動二輪が「ウォン!」と獣の咆哮で応じる。
 朝焼けの中、まだ車の影が目立たない二車線の道路を、女子高生が最大速度でブッ飛ばしていく。
『止まりなさい! そこの改造二輪に乗ってる子! 止まりなさーーいっっ!!』
 後方から迫り、拡散する電糸音声を、易々と引き離し。
 今日も新しい朝を迎える伊播磨市の中へ、遠ざかっていく。

【closing chapter 1】

       

表紙

□□ □□ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha