Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
うつが悪化した

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 うつが悪化して寝てた。
 ここ最近では一番ひどくて、仕事もしばらく休んだ。
 ずっと天井を見上げてYou Tubeのショート動画だけをひたすら見ていた。
 いつだったか、同じような生活をしていた気がする。前に休職したとき。
 働かないのはとてもよいことだと思った。とても落ち着く。
 ひたすら眠り続けて、腹が減ったときだけ起きてロールパンを食べて寝る。そしてパンが腸に詰まって下痢をする。
 好きだった料理ができなくなったのが悲しかった。
 ユニコーンオーバーロードも起動できなかった。
 ただひたすらに寝る。眠り続ける。
 眠るときはエルフの森で暮らす妄想をした。
 俺はこの世界から転移して、神樹と魂で結ばれる。
 神樹=俺なので、俺が死ねばエルフの森が滅びる。
 だからみんな優しくしてくれる。俺=世界なのだから最上位に扱われる。
 とても心地よい。幸福な世界。
 邪魔者は皆殺しにした。
 なのに幸福にならない。
 なぜなのか。
 
 
 
 
 さっぱり原因が分からないんだけど、昨日と今日は料理ができた。
 楽しい、というと少し気分が違う。そもそも俺はあまり楽しいという感情を持たない。
 落ち着くというのが一番近い気がする。
 ハッピーではない。ハッピーというのはエルフの森で暮らすことであって、俺の現実には存在しない。
 もしくはアラブの石油王になって経済的にまったく困窮せずに暮らすとか。
 じゃあなぜまた料理をやる気になったのかというと、それはショート動画を見ることでも、エルフの森で暮らすことでも、自分は満足しないと思い出したからのような気がする。



 ショート動画は本当によく見た。何時間も見た。
 次々に流れてくる刺激をスクロールして、気に入ったショートを目の中に流し込む。
 それが終わることがない。一周して同じショート動画が流れ始めたら、ショート動画検索でまた別のショート動画を見つけてスクロールし続ける。
 終わりがない。
 本当に中毒していたんだけれども、やめた。
 飽きたというのもあるかもしれないけど、それよりも、これは他人の人生のタダ乗りだなと思ったから。
 他人の人生にタダ乗りすることほど楽ちんなことはない。
 自分はなんの責任も負わず外野でギャアギャア言うだけでいいんだから。
 面白いとかつまらないとか。
 それは別に悪いことじゃない。
 ただキリがない。
 どれだけショート動画を見ても、それは『他人の人生』で自分の人生じゃない。
 だからショート動画を見ることで自分の人生が動くことは絶対にない。
 そこに自分はいないから。
 
 
 じゃあエルフの森で生きている自分はどうなのか。
 風呂で半身浴しながら考えてみた。
 自分の人生を生きていないからショート動画で満足できない。
 それならエルフの森に自分を放り込んで幸せに暮すことでも満足すべきじゃないのか。
 なのに満足できない。
 それはなぜなのか。
 たぶん、『幸福である自分』と『自分』がイコールにならないからだと思う。
 あまりにも不幸な人生だったから、幸福であるという状況にある時点でそれは『自分じゃない』と認識する。
 キラキラした人生を真っ直ぐに歩いていく主人公に全く共感できないように。
 もうそういう境遇にある時点で、俺はそれを『自分ではない』と判断している。
 だからどれだけエルフの森で暮らす妄想をしても、アラブの石油王になって幸せに暮らす妄想をしても。
 それも結局は『他人の人生』だから、満足できない。
 
 
 
 なんとなくうっすらそんな考えに至って、ちょっと頑張って料理をしてみた。
 俺の料理はキラキラしていない。
 前は料理の写真をとって友達に送ったりしていたんだけど、『反応に困る』と言われたのでやめた。
 今は俺の料理を罵倒するという趣味を持っている友達に写真を送り付けて『食中毒患者の糞』とか『渋谷のゲロ』とか言われるだけにしている。
 これはこれで楽しい。
 少なくとも、『誰かが認めてくれるかも』と期待して写真をアップしたり、映えを気にして写真を加工したりするよりも、ありのままの写真を見せて『うす汚ぇ汚物』とか言われる方がスッキリする気がする。
 誰かに認めてもらうために作るものは、虚しい。
 それよりも自分のために作ったものが、ゴミ扱いされるほうがストレートだと思う。
 誰かに認めてもらう期待をせずに行動しているのだから、それはまぎれもなく自分自身のためのものであり、自分の人生を突き進んだということ。
 その結果が悲惨なものであることは、自然なことだし、どう頑張ったって避けようがない。
 少なくとも悲惨であるということは、幸福よりも俺の実態に近い。
 
 
 ネットフリックスを見てみた。
 ブルックリンナインナインが好きだったんだけど、ラストシーズンで飽きてしまった。
 確か2年前くらいにコメディの勉強をしようと思って見ていた気がする。
 もう何かを勉強するために何かを見るのはやめようと思う。
 それはまるで意識が高くて向上心があるように見えるけれども、創作物に対して、『これを見ることで自分に何を与えてくれるのか?』という傲慢な視点を持つことだから。
 まるで能無しのくせに『君は我が社にどういう貢献ができるんだね?』とほざいてくる虫けらみたいだ。
 何かを求めて手に入るなら苦労はしない。
 結局、創作というものはコントロールなんかできない。
 これを勉強しました、これを学習しました、だからこれが作れます。
 そういう作り方もあるんだろうけど、俺にはできない。
 人が善と為す努力。人が快とする態度。
 俺にはそんなものはない。
 自分勝手にのたうちまわること。
 それしかしてこなかったし、それしか多分、俺にはできない。


       

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Neetsha