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10/13〜10/19

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 電話番号を押しては消す。何度目かの繰り返しを経てようやく私は彼に電話をかけた。
「もしもし」
「もしもし。どうかした?」
 彼はいつもの調子だ。でも、私はそれに乗ることが出来ない。
「ごめん。私、やっぱり今日、無理」
「えー、あー……なんか不味かった? 予定あったとか? それともやっぱ俺と行くのは」
「ち、違うの! それは嬉しかったの! ホントに嬉しかったの……」
「じゃあなんでだよ」
 私は深呼吸すると一気に言った。
「ドレスをね……用意するの、忘れてて」
 電話は沈黙している。
「ほら……みんな綺麗な服なのに、私だけしょっぱい服じゃ……カッコ悪いし。アンタも恥ずかしいだろうし……」
「……」
「ごめん……誘ってくれたのに……」
 まずい、涙が溢れてくる。こんなに泣いてしまったら化粧でも誤魔化し切れないだろう。そこまで思って少し笑いそうになる。服がないのにそんな心配をしてもしょうがないのに。その時、彼が答えた。
「別にドレスじゃなくてもいいよ」
「で、でも、アンタが恥かくよ。私もだけど」
「大丈夫だよ。あ、だったら、今持ってる中で一番可愛い服着てきてよ」
 お前の精一杯見せろよ。そう言うと、電話は一方的に切れた。
 私は呆然とした。人が悩みに悩んだ結果をあんな風に適当に切り捨てるなんて。次第に怒りとも憤りとも知れぬ感情が沸々と湧き上がってきた。
「見てろよ……こうなったら可愛いをトコトンまでつきつめてやるからな」

 会場の入口には荷物預け口があったが、私はそこでコートを脱がずにそのまま入った。彼を見つけて軽く合図をする。彼はそわそわした様子ですぐに近寄ってきた。
「よ、来たな……あれ、コート脱がないの?」
「だって、今日のドレスこれだし」
「え? コートで踊るわけ?」
 呆気に取られた彼の顔を見て、ようやく私の気分もアガってきた。
「だって、可愛い服で来いって言ったじゃん? アンタこのダッフル、凄い可愛いって褒めてたよね? 忘れてるはずないと思うけど」
「そ、そりゃその時はそう言ったけど」
「じゃあいいじゃん。それとも、やっぱり恥ずかしいからナシってか? あれだけ大口叩いておいてそれはないでしょ」
「いや、それはまあ……そうだが」
 彼が折れたのを見て、私は右手を差し出した。
「ではリードをお願いします、『王子様』?」
「フッ、後から暑いと文句を言っても知りませんよ、『お姫様』?」
 見通しのよい広めの国道沿いの道。パッと見は平坦に見えるが実際は緩い坂になっている、自転車乗りにとっては罠みたいな道だ。体力がないことで名を知られた我が友人は既に漕ぐのを諦めて自転車を押しながらぶつくさ文句を言っている。
「つかれたー。まだかかるの?」
「さっき休んだとこやん。もうチェックインの時間過ぎてるんやぞ」
「いや休まないと無理。もう動けない。休もう」
 忠告してやったのに友人は意に介さない。というかこの友人、俺の言うことを聞いた試しがないのだ。しばらくキョロキョロしていたが、突然大声を上げた。
「あ! あそこに売店あるじゃん、あそこで何か飲もう、お腹空いた」
「おいこら! ルート外れんな! ……っていうか動けんじゃねえか」
 やれやれ、これで更に30分の遅刻かな、と俺は呟きながら彼の後を追った。

「おーい、こっちこっち」
「ったく……食料ならさっきの休憩したコンビニで買ったろ?」
「あれはもう食った。それより見ろよ、レモソ牛乳だって」
 友人が指差した先には、黄色いパッケージの牛乳パックが山積みされている。看板には「トイチ名産・レモソ牛乳」と銘打ってある。
「旨そうじゃね?」
 友人は柑橘類が好きなのもあって興味津々な様子だ。恐らく甘酸っぱい飲むヨーグルトやレモネードのような味わいを想像しているのだろう。俺は過去に飲んだことがあったのでただ香り付けされているだけで甘い色付きの牛乳に過ぎないことを既に知っていたが、彼の期待に水を差すのもなんだと思っていたのでとぼけておいた。
「どうかな? レモソ入れたら牛乳固まっちゃうだろ」
「バカ、そうなってねえから売り物になってんだろが。おばちゃん、これ5つ」
 バカはレジに声をかけたので流石に俺は慌てた。
「そんなに買ってどうすんだよ。荷物になるだろ」
「いいよ、ここで飲んでくし。1パックの容量少ないし飲み切れるって」
「アホか。腐っても牛乳だぞ」
「うちの牛乳は新鮮だよ」
 田舎特有のフレンドリーさで何故か口喧嘩に参加を始めるレジのおばちゃん。勘弁してくれ。
「だよな! ほらみろ、おばちゃんの折り紙つきだ」
「あー、もう知らね」
 結局その場では勢いに押し切られてしまい、1リットルの牛乳が友人の腹の中に入っていくこととなった。
 勿論その後彼が激しい腹痛に見舞われたことは言うまでもない。レモソ牛乳は酸っぱくて美味しかったとは彼の便、いや弁である。
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「ちょっと、そんなに持ってきて大丈夫なの? お腹痛かったんじゃ」
「大丈夫だよ。もう痛いのは治ったし。それより見て見て」
 男の持ってきた皿を見て女は軽く顔をしかめた。皿の上には赤・茶・黄色味がかった白の半固形物が混ざりあって乗せられている。
「どう? 旨そうだろ。他にも色々あったよ」
「旨そう……にはあんまり見えないかな……。イチゴ、チョコレート、バニラ?」
「そうだよ! ナポリタン・アイス。最高の組み合わせじゃん? 人気の組み合わせらしい」
「美味しいは美味しいだろうけど、見た目もうちょっとなんとかなんないの? これじゃまるで……」
 男の嬉しそうな顔を見て、女は後に続けようとした言葉を飲み込んだ。

 見た目のグロテスクさに反してアイスは中々美味しかった。といってもグロかったのは男の盛り付け方が悪かったせいだが。
「思ったより美味しかったね」
「だろ? 自家製の香料と生クリームを使ってるらしい」
「あんたが自慢してどうすんの。ただ不味そうに盛りつけただけでしょ」
「なんだと! じゃあ今度こそ旨そうに盛りつけてやる。覚悟しとけ」
「え、私もう要らないんだけど……」
 女の溜息は戻ってきた男の皿を見て困惑に変わった。
「何この色?」
「ええと、チョコミント、キャロット、パンプキンだったかな?」
「ニンジンとカボチャのアイスクリーム? そんなのあるんだ」
「日替わりアイスだって。色取り取りで目に楽しいだろ」
「楽しいっていうか」
 ケバケバしくてキモい、という言葉はやはり飲み込むしかなかった。大体なんでその3種類の味を混ぜようと思ったのだろう。これでは血だの精液だのを通り越して絵の具だろう、と女は思った。
「私お腹いっぱいだから食べないよ」
「えー要らないの? じゃあいいよ、俺全部食べるし」
「お腹壊さないでよ? 治ったからって調子に乗られたら困るのはこっちなんだから」
「しつこいなー。そんなにお腹壊して欲しいのか?」
「なっ、せっかく人が心配してるってのに」
 大口開けてアイスを頬張る男を見ながら女はネットスラングを思い出さずにはいられなかった。
 ここはとあるレストラン……人気メニューは……ナポリタン……
 突然男が叫んだ。
「うっ……なんか混ざってる? 何これ、虫だ……うええええ……」
 男が吐き出したアイスの残骸がべちゃりと床に落ちる。それはやっぱりパレットから溢れた絵の具のような色合いに見えた。
 目が覚めてすぐに、私は新聞を確認した。今日の天気は全国的に晴れ模様。高気圧を列島が覆って傘要らず……駄目だ、判別がつかない。雨が降っていれば一発なのに。
 私は携帯を取り出した。LINEチャットのログを遡るが、当たり障りのない業務上の案件の話しか出ていない。直接聞くしかないか。まだどっちでも始業前だから、誰か応答してくれるはずだ。とはいえ聞き方には気をつけなくてはならない。迂闊なことを言えばおかしくなったと思われてしまう。予定表を確認。会議の場所ぐらい予定表に書けよな……。メッセージはあくまで業務上必要があるから聞いたように偽装しつつ、相手から必要な情報が落ちるのを期待出来るような内容だ。
『今日の会議って部長いるよね? 資料どうすればいいかな?』
 よし、特に不自然な点もない。これを放流して、『手渡す』とか『メールで送っておく』とか具体的な手段が同期から送られてくるのを待つだけだ。その前に他の手段を探すことにする。名刺は以前調べたけど書いてあること全く同じで駄目だった。通勤ルートはどうだろう。カーナビや地図アプリに勤務先情報が登録してあるかもしれない。
 車内に入ってカーナビの電源を入れた時、LINEの通知音が鳴った。さっきのメッセージの返信だ。
『部長出られなくなったから資料はいつも通りでいいって〜』
 返事は内心ズッこけそうな内容であった。いや、本人には何の悪意も意図もない。質問に対して親切で送ってくれたのだろう。それは感謝する。でもこれでは肝心の私が向かうべき場所が分からないではないか。質問をした意味がない。私は諦めてカーナビのお気に入り登録を呼び出した。案の定、というかやはり、というか、勤務先の情報は登録されていなかった。
 もう始業まで時間がない。出掛けるのであれば出なくてはならないタイミングだ。一応出勤しなくてはいけない場合に備えてスーツは着た(ちなみに出勤しない世界であればそもそもスーツが用意されていないはずなのだが、どういうわけか家の中のレイアウトはどっちの世界でも統一されている)が、実際に出発するかどうか。もし違っていた場合、わざわざ車を出しておきながら遅刻というみっともない事態になってしまう。こうなりゃ神頼みだ。私は自己流で雨乞いを始めた。
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 買い物しようとショッピングモールまで車で出掛けたら、対向車線を救急車がサイレンを鳴らして去っていった。消防車が一緒ではなかったから急病人か、或いは事故か。そんなことを考えながら走っていたら、遠ざかっていたサイレンの音がもう一度大きくなった。チラリとバックミラーを見ると、またしても救急車が。今度は後ろの方から渋滞車列を抜こうとやっきになっているようだ。
 なんだ、今日は怪我人が多い日かな、大変ですね、などと他人事丸出しの感想を抱きながらしばらく走る。すぐに抜いていくかと思いきや、渋滞が酷いせいか中々前までやってこない。その割にサイレンの音は中々止まないので、道を迂回したりするつもりはないようだ。この先の渋滞原因である事故の現場まで行きたいのだろう。邪魔してる奴らは道路交通法違反だな。
「じゃあせめて俺は道を空けてあげますか」
 俺は脇道で迂回することにした。別に道路交通法が怖いからではなく、その方がショッピングモールに早く着きそうだから、だけど。幸い脇道は空いていた。これならすぐ着くかな、と思っていたら、後ろからサイレンの音が追いかけてきた。あっちも業を煮やして迂回することにしたようだ。

「まだついてくるの……? そろそろ着かないのかな……」
 しばらく進んだが、サイレンの音は一向に止まない。もう20分ほど走っているはずだが、曲がろうが直進しようが後についてくるのだ。始めは面白がっていたが、まるで追いかけられているようで次第に気味が悪くなってきた。サイレンの音は違えど、緊急車両に追いかけられて気持がいいはずがない。
「いっそ抜かせてやるか」
 そう思い、用事はなかったが道端のコンビニに入る。駐車場で見ていると救急車はそのまま走り去っていった。
「まあ、気のせいだよな。流石に」
 遠ざかるサイレン音に気を取り直して出発しようとすると、なんと再びサイレンの音が大きくなる。そして救急車が駐車場に進入してきた。ビックリして、思わず足に力が入る。しまった、と思った時にはもう遅く、俺の車は凄い勢いでコンビニの正面に突っ込んでいた。
「大丈夫ですか!?」
「くそっ、間に合わなかったか……早く収容を!」
 救急車から降りてきた隊員が口々に叫ぶのを聞きながら俺は思った。大丈夫じゃねーよ。お前らのせいだよ。
「妖気、感じてるね」
「妖気?」
「寝癖だよ、その寝癖」
「ああ……」
 頭に手をやると今日も元気にアンテナが一本生えている。上から抑えつければその瞬間は引っ込むが、手を離せば元通りだ。
「すいません、だらしなくて」
「いや、いいよ。君がだらしないのはいつものことだしね」
 相変わらずこの人は性格が悪い。
「ところでなんですか、妖気って」
「なんだ、知らんの? 最近の若者はこれだからいかんなあ」
 最近のって、どうせマンガか何かでしょう。元ネタが何かはどうでもよかったが、先輩の態度が少しムカついたので僕は少し乗ってあげることにした。
「あ、でも言われてみると寝癖ついてた時って、なんかの気を感じるような気がしますね」
「おいおい、何言ってるんだ急に」
「うーん、この気配は……あっちの方からですね。はっ、まさか課長代理……」
 僕が芝居がかった口調で「ぬらりひょん」というあだ名がついている課長代理に目をやると、先輩はツボに入ったらしく大声で笑い始めた。
「お前、いくらなんでもそれは」
「そこ、静かにしなさい」
「ヒッ」
「申し訳ありませんでした」
 先輩があんまり笑うものだから、視線を感じた課長代理に注意されてしまった。びっくりして息を詰まらせた先輩に代わって課長代理に謝罪する。よく出来た後輩だな、と内心自画自賛していたら先輩に頭を小突かれた。
「痛いっ。何するんですか」
「なんかムカついた。顔が侮辱行為」
「酷い言い草だ……」
「君、ちょっといいかね?」
 先輩とふざけているうちに、背後から課長代理の接近を許していた。
「なんでしょう」
「ちょっと話がある。外で話すから来なさい」
 しかもお呼び出し、個別指導のオマケつきだ。なぜだ。ちゃんと謝ったし、ふざけ始めたのも笑ったのも先輩なのに。先輩の顔を見るとふざけた顔でざまあと口だけで言って笑っている。この人は本当に性格が悪い。会社辞めるときはこの人を刺してからにしよう。が、何はともあれまずは面談を乗り切らなくては。
「えっと、あの……本当にすいませんでした」
 廊下に出るなり謝罪して頭を下げると、課長代理が面喰らった顔をした。
「え? あ、いや、うん……それよりもだ」
「はあ?」
 思わずマヌケな声が出た。どうやら怒られるわけではないらしい。
「いつから気付いていたんだ?」
「なにがですか?」
「今さらとぼけないでくれ。気付いたんだろう。私から漏れている妖気に」
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 本鈴のチャイムに遅れること数分、いつものようにケーサルが教室に入ってきた。聞くところによると本鈴を聞いてから職員室を出るんだそうだ。だから来るのが遅いらしい。
「おーい、始めるぞー」
 普通ならこんな冴えないオッサンの話を聞く高校生なんかいないところだが、生憎ここは進学校で奴は教師、そして俺たちは生徒である。皆文句も言わずに自分の席についてそれぞれ準備を始める。準備といっても、用意するのはアリバイ代わりのペンと消しゴム、そして枕代わりの世界史の教科書だ。少なくともこの教室にまともに世界史の勉強をしにきている奴はいない。ケーサルの授業は最高の眠りを提供してくれることで校内でも有名なのだ。気の早い奴はもう机の上に頭を横たえて寝る気満々だ。
「では帝政ローマの最初の方から復習するぞー」
 おっと、もう始まってしまう。お馴染の「ケーサル(カエサルのこと)」が聞けないのは残念だが、早く寝ないとその方が勿体ないからな。俺はケーサルのローマ史の声を子守唄に夢の世界へ旅立った。

「さて、と……ここはどこだ?」
 意識を取り戻した俺は周囲を確認した。記憶によれば前回は確か街中を散策してる時に突然強面の男に捕まって、無理やりどこかに連れていかれそうになったような気がする。確か、借金がなんだとか言っていたような。ということは、ここは連れ去られた先ということかな。
 見た限り、周りはほとんど夜のような薄暗さで、辛うじて松明に照らされて手元が見える程度だ。石造りの室内には、金属のカチャカチャいう音やむさ苦しい息づかい、すえた汗のような臭いが漂っている。怖くてイカついおっさんが沢山いるのだろうか。
「おい! ぼさっとしてんなよ」
 突然背中を鋭い痛みが走った。辛うじて踏ん張って振り返ると、醜悪な顔のハゲが俺の後ろに立ち、鞭を構えて偉そうに仁王立ちしていた。
「早く行け。奴隸の分際で俺様に指図させるな、しょんべん垂らしが」

「では本日はここまでー」
 ケーサルの声で俺は目を覚ました。今日進んだ内容を確認すると、帝政ローマの風俗文化をやったようだ。ということは、あれはやっぱりコロッセオの剣奴の控室か。
 周りの奴らも興奮した様子で今日の内容を思い思いに語ってる。どうやら貴族で観客席にいたという奴が多い。あー、俺もそっちが良かったなー、なんで借金取りなんかに捕まってるんだよ。
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天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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