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4/14〜4/20

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 俺は手にした「ハニートラップ・トラップ」を見た。俺に彼女が出来た祝いに課長が冗談半分にくれた代物で、うちの開発製品の数値をデタラメにいじったものだ。パッと見はそれらしく作ってあるから、専門知識がないと嘘だと見抜くのは難しい。
 彼女は正門で待っている。俺は無造作に紙を鞄につっこんだ。もし本当にハニートラップならこの書類を彼女が見落とすはずはないが、まあそんなはずはないからな。

「あっ、流れ星!」
「えっ、どこどこ」
 慌てて空を見上げるが、当然影も形もない。ふと鞄に目を向けると、書類は消えていた。いや、彼女が手に持って読んでいるあの紙はなんだ、まさか……。
「この数値、間違ってない?」
「へ?」
「ほら、ここも、ここも。全部デタラメじゃん。私が直してあげよう」
 彼女の右手にはいつの間にか赤ペンが握られていた。
「んーと、この要求だとこんなもんかなーと思うけど……」
「あ、ああ、うん、そうかな……」
「ここは違うよねー。ここもー、あ、でもこれは実現したんだっけ?」
「え! 良く知ってるね」
 やけに詳しい上に、技術的に突っ込んだ話もしてくれる。俺はいつの間にか彼女と道端で話し込んでいた。
「あ! こことか明らかに違うじゃん。こんな値、既存の装置じゃ出ない筈だよ!」
「あ、いやここは正しいんだよ。最近開発した奴でここまで性能が出るようになって……あっ」
 俺は自分の口を抑えたが、もう後の祭りだ。まだ技術試験段階の話で課外にも話していない内容なのに……。
「へえ。新開発した技術ってどんなの?」
 彼女は無邪気な様子で聞いてくる。
「……そ、それは言えない。社外秘なんだ」
「……どうしても? 私にも言えないことなの?」
 彼女が俺の顔を覗き込んでくる。やけに真剣な瞳だった。俺はつばを飲み込んで、頷いた。
「そっかあ。残念」
 彼女はそういうと、赤を入れた紙を俺の鞄に押し込み、手をひらひらとさせて歩き去っていった。
「課長……すいません……」
 俺は後ろ姿を見送りながら、その場に崩れ落ちた。

 翌日、悄然と出勤した俺の目の前に、課長を伴った彼女が現れた。吹き出しそうな顔をしながら、二人が課員に向かって言った。
「外部取締役兼CTOの姫川です」
「急遽、当部署に査察に来られた。粗相のないように」
 あまりのことに理解が追いつかない俺の横に、CTOが近寄ってきて囁いた。
「昨日は、彼女としては残念だけど、取締役としては満足だったよ」
 インターホンに返事をしてドアを開けると、岡持を持った若い男が立っていた。
「どうもーこんにちは」
「うちは出前は頼んでませんけど」
「あっ、出前じゃないです。隣に越してきました! これ、引越し蕎麦なんで、一緒に食べましょう」
 言うなり中に入ろうとしてくる。私は慌てて前を遮った。
「ちょっと待って。気持ちはありがたいけど、今はお腹すいてないし、部屋も散らかっているから。悪いけど今日は帰ってくれない?」
 大体引越し蕎麦って自分の部屋で引越し当日に食うものじゃないのか。
「大丈夫ですよ! 余ったらその分まで僕が食べます。それに部屋が散らかってるなら一緒に片付けた方が早いですよ! 僕は気にしません!」
「私が気にするわ! 一緒に片付けるとか余った蕎麦食うとか発想がキモいわ!」
「なぜそんなに邪険にするんですか! カリカリするのはお腹が空いているからでは? 遠慮せず、さあ!」
「さあじゃねえ! 社交辞令が通じてないみたいだからはっきり言うけど、そういうの迷惑なの! 帰ってちょうだい!」
 男はうなだれて静かにしている。ようやくこちらの言い分が伝わったか、と思った次の瞬間、男は素早い動きで私の脇をすり抜けて、部屋の中へと侵入した。
「あ! こら待て、警察呼ぶぞ!」
 男は驚くほど身軽に廊下を走っていく。岡持を持っているのに凄いバランス感覚だ……いや、感心している場合じゃない。あれを見られたらマズい! 私は慌てて追いかけたが、追いつくよりも早く、男は部屋の引き戸を開けた。
 そこは物置のような、天井の低い小さな小部屋だった。窓はなく、扉から差し込む光に照らされて、少女が座っている。両手両足は縛られ、口にはガムテープが貼られていた。
「ほらやっぱり。ここからお腹が空いてる感じがしたんですよ」
 あっけに取られる私の目の前で、男は岡持を置くと、中からかけ蕎麦の器を取り出した。少女の口からガムテープを剥がすと、割り箸で蕎麦をすくい、フーフーと冷まして少女の口まで運ぶ。
 少女は呆然としていたが、やがておずおずと麺をすする。そしてポロポロと涙を流しはじめた。
「いつから気付いていたんだ?」
 私が聞くと、男は振り返りもせずに言った。
「お腹を空かせている少年少女がいる限り、私はどこにでも現れる。それが私、引越し蕎麦マンです!」
「ちゃんと質問に答えろ!」
 どうやら話が通じないのは天然だったようだ。
100, 99

  

「貴様、ふざけてるのか!」
 怒号と共に、私の目の前で上司が頭からビールを浴びせかけられた。上司は黙って90度の角度の御辞儀を保ったままだ。髪の毛とシャツの襟からポタポタと雫が滴り落ちる。
「ここは先代の担当者の方の時代からうちのお得意先だから、会社から遠いところをわざわざ抑えたんだ! それがなんだこの様は!」
 ビールを頭からかけたお客様は大層ご立腹である。それも我々、というか私のせいだ。予約の人数を一桁間違えていたために抑えていた席が足らなくなったり、ビールの銘柄を間違えたり。やらかした内容が多すぎて正直書き切れない。
 揃って頭を下げていると、後輩が一人走り寄ってきた。矢面に立つ上司に内心で謝りつつ、席を外す。
「準備出来た?」
「ばっちりです。急なお願いだったにも関わらず、ご好意でフルに用意出来ました」
「よし。それで、結果は?」
 私が後輩に問うと、後輩は黙ってしっかりと頷いた。行ける。
「作戦は決行だ」
 私はゴーサインを出した。

 後輩と共にお客様の元へ戻ると、お客様はビールの二本目を開けようとしているところだった。勿論飲む為ではなく、かけるためである。後輩がその後ろに近寄る。
「お客様」
「なんだ、まだ何かあるのか!」
「いえ、ビールをかけるのであれば、これをお使い下さい」
 後輩が差し出したのは、球場で売り子が背負っているようなランドセル式のビールサーバーである。突然の申し出にポカンとしたお客様にてきぱきと背負わせると、後輩は言った。
「このビールはお客様がご所望だったアサポロのビールです! 存分にかけてください!」
「おいおい待ってくれ、何を言っているんだ君は」
「一方的で気が引けるというのなら、ご心配なく」
 そう言った後輩の背中には、既にもう一台サーバーが背負われていた。
「お客様には私どもがかけます」
 壮絶なビールかけ合戦が始まった。

 会場の全員が全身ずぶ濡れのへとへとになった頃、上司が呟いた。
「で、これは一体なんの乱痴気騒ぎなんだ?」
「優勝記念ですよ」
 私は即座に答えた。
「お客様の会社が、都市対抗野球で先ほど優勝しました。ビールの銘柄に拘るほど愛社精神の強い方なら、当然ビールかけで祝うだろうと思いまして、勝手ながら用意させていただきました」
 お客様の楽しそうな顔を見て、決勝戦を見ていたせいで注文聞きが上の空だったことは黙っていようと思った。
 幼い子供が激しく泣きながらくしゃみをするのを、必死にあやす母親。その母親も、目は赤く充血し、子供をあやす反対の手で鼻を頻繁にかんでいる。村はさながら地獄絵図といった趣きだ。
 流行り病はこれまでにもいくつかあったが、これほどに蔓延したのは始めてだった。ヤガミばばの準備が整うよりも、病が蔓延する方が早かったのだ。そういう私も、くしゃみが酷くて当時は痰壷と手ぬぐいが手放せなかった。
 ヤガミばばはこの村1番のまじない師だ。これまでも色々な病気を治してきたし、少しだけなら嵐や洪水など、天変地異を鎮める儀式の心得だってある。ヤガミばばは流行り病が流行り始める前から人知れず準備を始めている。それは神様に捧げる儀式や祭だったり、薬や、場合によっては堀や開墾の普請だったり様々だけど、ヤガミばばがやることはどれも不思議と効果があった。だからこれまではどんな恐ろしい病であっても、ほとんどの村人は罹ることがなかったのに。

 その日も、いつものように村の様子を見て回っているとヤガミばばに出食わした。
「どこほっつき歩いてんだい、探したよ。早く手伝っとくれ」
「ということは、治療を始められるんですか?」
「ああ、祭をやるよ。病人は全員参加だ。でも、その前にこれを口に入れな」
 ヤガミばばが取り出したのは、松やにに黄色い粉のようなものを混ぜたものだった。
「これは?」
「薬のようなものさ。これを舌の下に入れてお祈りするんだ。飲み込んだり吐き捨てたりしたらダメだよ。分かったら他の人の分を配るのを手伝いな」
 見ればヤガミばばの後ろには、この薬が入った沢山の器が用意してある。私は聞いた。
「ばば様、結局この流行り病はなんなのですか?」
「これは杉神様の祟りさ」
 ヤガミばばが出したのはあまり聞きなれない神様の名前だった。
「すぎがみさま?」
「なんだ、知らないのかい。杉神様とはね、読んで字の如く杉の木の神様のことだよ。山の向こうに大きな杉林があるだろう。あれはこの辺りの人が植えたものではない。遥か昔にこの土地の神様が植えたものなのさ。神様が手ずからお作りになったものには、どんな小さなものでも必ず神様が宿る。杉神様は昔から気性が荒くてね。世話役の世話がよくないと、春になって病をばら撒くんだ。とはいえ、今年は特にひどいね。祭のあとも、これで安心とは思わないことだ。少なくとも当分の間杉林には近付くんじゃないね」
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 もう何度目になるか、点けては消しを繰り返したケータイの画面をもう一度見る。圏外。何度見ても入らない電波が入るようになるわけないのだが、こうやって頻繁に確認してしまうのも現代病の一種だろう。こんな黒い画面よりも、目の前の景色の方がずっと珍しいはずなのに、そちらはすぐに飽きてしまって、日常に帰りたいと願ってしまう。
「ハイジャックだ!!」
 突然甲板に男が一人飛び込んできた。そのすぐ後ろから男がもう二人。二人組が先に入ってきた男を小突き倒すと、片方が組み敷き、もう片方は甲板にいた僕らに向けてライフルのようなものを向けた。黒づくめで目出し帽、ミリタリージャケット。組み敷かれている人の勇気ある警告がなくとも、この船が大変なことになっていることはよく分かる光景だった。
 僕はほとんど反射的にケータイを取り出した。海上保安庁は118番だっけ? あ、そうか。圏外だった。
「えー先ほどご紹介に預かりましたハイジャック犯です。皆さん抵抗はやめてくださいね。圏外なので通報も出来ません」
 驚くほどのんびりとした声でハイジャック犯が言った。誰も何も言わない。波と船のエンジンの音だけがやけに不気味に響く中、ハイジャック犯が続けて言った。
「この船の行き先ですが、伊豆大島から硫黄島へ変更になりました」
 何を言ってるんだコイツ。思わずそう口にする前に、誰かが呟いた。
「馬鹿か、コイツ」
 皆の沈黙が沈黙の肯定を示していた。伊豆大島行きのフェリーが硫黄島まで行けるほどの燃料を積んでるわけがないのだ。
「燃料のことなら心配いりません」
 相変わらず能天気な声を出してハイジャック犯が続けた。
「仮設マストと帆布を用意してきました」
 言葉にならない溜息が甲板に溢れる。僕は言った。
「マスト、今のうちに立てた方がいいんじゃないですか? 手伝いますよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
 ハイジャック犯は無邪気に喜んでいる。僕は頭が段々痛くなってきた。

 数時間後コーストガードの船が現れた時に、ハイジャック犯のリーダーは「何故だ! 圏外なのに!」と悲痛な叫びを上げていた。アホ過ぎて海上無線の存在を知らなかったようだ。
 犯罪者は学がなくともなれるようだが、最低限の知識は必要なんだなと僕は思った。とすれば、今の勉強も無駄ではないということになる。
 浜辺は見渡す限り人でいっぱいだ。と言っても水着の人はほとんどおらず、大概が短パンに半袖のシャツ、あるいは長袖を腕まくりしたスタイルが多い。大抵は子供連れの親子3人組、4人組だ。それぞれが砂浜に三々五々散らばって砂泥を掘っている。
「これはなんの行事なのですか?」
 私が問うと、隣の席に座って運転をしていたミスター・サトウはちらりと見て「潮干狩りですね」と答えた。
「シオヒガリ? シオというのは調味料だったと思うのですが、それがここで取れるのですか?」
「いやいや、そうではありません。ここで取っているのはアサリなどの貝を中心とした干潟の生物です。この場合の『潮干』というのは海の満ち引きのことを言います」
 私の理解出来ていない顔を察して、ミスター・サトウが解説を加えてくれた。なるほど、とするとこれは漁の一種か。
「海に船で漕ぎ出さなくとも出来る漁もあるのですね」
「そうですね。潮干狩りは小さな子供にも簡単ということでレクリエーションとして人気です。ですから中には、掘ってもらう為に貝を撒いておいて、レクリエーション用に提供する潮干狩り場もあります」
「なるほど。それで子供連れが沢山いるのですか」
 私が納得していると、上が急に暗くなった。
「しまった。スナアラシ星人の砂塵船です。逃げないと」
 私が指摘するより早く、ミスター・サトウは車を反転させていた。ダイハツのミラは軽いエンジンを限界まで吹かして走っていく。
 スナアラシ星人は近年ここの星系と戦争状態にある星の一つだ。時々ゲリラ的・テロ的にこうして土木工事船舶を送り込んできてはこういう嫌がらせをする。民間人に被害も出るため、星民感情は極めて悪い。
 もういいだろうという辺りまで逃げてから後ろを確認すると、先ほどまで我々のいた砂浜は半分ほど埋まっており、砂塵船は沿岸警備隊の宇宙船によって撃沈されるところだった。
「我々は逃げられましたが、シオヒガリをしていた彼らは大丈夫でしょうか」
 私の疑問に、ミスター・サトウは顔をしかめながら「分かりませんが、救助活動に期待するしかないでしょう」と言った。
「なるほど、またシオヒガリをするのですね」
 ミスター・サトウが怪訝な顔をしたので私は捕捉した。
「この星の巨大な土木機械、ショベルカーと言いましたっけ? あれでもって人を掘り起こすのでしょう。まさにシオヒガリではないですか」
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「またカレーか」
 親父が席につきながらボソッとつぶやいた一言で、お袋はブチ切れた。
「そんなに言うなら、自分で好きなもの作って自分で食べればいいじゃない!」
「なんだと! それが疲れて仕事から帰ってきた夫に向かって言うセリフか!」
「いつもいつもいつもいつもそうやって偉そうに! ハイハイ私が悪うございました、どうぞお残しになってくださいまし、これは捨てますね!」
「そんなことは言ってないだろう! 少し愚痴を言っただけじゃないか! そんなことすら許してくれないのか!」
 キレる親父にスネるお袋。いつもの構図だが、だからといって場の空気に慣れるというものでもない。どちらにしろこの喧嘩が冷めるまで飯など呑気に食えそうもない。俺は自室に避難することにした。

 二階から音が聞こえなくなったので降りていってみると、お袋はおらず、親父が一人で腕を組んで座っている。
「母さんは?」
 親父に聞くと、親父はむすっとした声で答えた。
「知らん。出ていった」
 ああこの家の大人はどうして揃いも揃ってこうなのか。こんなんでよく20年間も結婚生活が続いていたなとよく思う。
 キッチンに入ってみると、なんと本当にカレーは捨てられていた。とりあえず何か食うものを作ろうと思ったが、ロクな食材が置いてない。俺が冷蔵庫の中を物色していると玄関から物音がした。癇癪夫人のご帰還のようだ。
「おかえり」
 お袋に声をかけた時に、くぐもった悲鳴と同時に、奇妙な臭いがただよってきた。血のすえたような臭いと独特の生臭さ。振り返ると、お袋が透明なビニール袋を両手に下げて立っていた。袋は片方だけ膨らんでおり、心なしかビクビク震えている。
「あの、お母様、それは……?」
 恐る恐る尋ねると、お袋は目をギョロリとさせ、俺の方を睨んでもう片方の袋を片方投げてよこした。見れば中には大きな出刃包丁が入っている。
「これ、今日の私の分だから。アンタは自分で取ってきなさい」
「取るってなにを」
「決まってるでしょ? 食材は自分の分は自分で用意してもらうことにしたの」
「自分で用意って、俺、晩飯に小遣い使うなんていやだよ」
「あら、何も買えなんて言ってないわよ」
 お袋はそう言うと、返り血のべっとりとついた顔に袋を持ち上げてみせた。
「人間には狩猟というスキルがあるのよ? 足りなければ現場で調達すればいいの。残骸ぐらいは残しておいたから、今日ぐらいは使ってもいいわよ」
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天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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