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「意識高い系神様」 作:田中佐藤 0425 00:11

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 全知全能の神でいることは、とても難しい。
 人はいずれ老いる。人が老いるのと同じように、神様だって老いる。
 他の八百万の神様たちと違って、意識高い系の神様たる私にとって、老いて知識が古くなることは絶対に避けたいことでもある。
 十月、神無月。出雲大社では八百万の神が一堂に会する会合が催されている。その時に、雲の下に住む人間達が生み出してきた最新技術や知識を勉強していると発言すると、他の八百万の神様から意識高い系だと言われ、とっても馬鹿にされる。だけど私は、知識のアップデートを頻繁に行いたいと思うのだ。最新の知識でもって、この世に生まれ落ちた全ての生き物を良い方に導くだとか、そういうことがしたいのだ。だって私は全知全能の神なのだから。
 だから、お参りの時に最新の学術書や専門書を奉納してくれる参拝客がいると、とってもとっても助かる。
 インターネット社会になった今でもやっぱり本はすっごく有用だと思う。インターネットで知識を得るよりも、ずっと効率がよくて、第一に本の方が体系的に知識が整理されている分、専門分野の全体的な見通しだって立ていやすいし、それにそもそも本の方が読みやすい。


 オレンジ色の髪をした女の子として生まれたという理由だけで、私はありがたがれ、そして生後六カ月の時に土に埋められて殺された。そして私は、村の果てにある神社で、全知全能の神として崇め奉られるようになった。聞くところによると、この神社の御神体はどうやら私のオレンジ色の髪の毛らしい。
 まったくもって迷惑な話だと思う。なぜ私は殺されければいけなかったのか、未だに納得がいかない。当時の日本人の間では、オレンジ色の髪の毛をした女の子というものがとても珍しかったせいで、オレンジ色の髪の私に畏怖の念を抱いた村の者たちによって私は殺されたのだ。でも、何も殺さなくてもいいのではないかとここ数年は思う。自分とは違う身体的特徴を持った人間とも共生していくような心構え――最近の言葉でいえばダイバーシティという考え方が、この村には不足していたのだと思う。
 それに私は全知全能の神でもなければ、そもそも神様でも何でもないのだ。だけど神様として祀られたが最後、私は全知全能の神様として、みんなを導いていかなければならない。
 それが私の使命。与えられた宿命。私の存在意義。
 全知全能でない私に、存在意義などないのだ。みんな、全知全能の神という私に備わった属性を愛しているのであって、私そのものを愛しているわけではないのだ……。もうやだ神様。神様やめたい。みんな全知全能じゃなくって私を愛してよ……! という想いが積もりに積もって、参拝に来たカップルの女の子の方を感情に任せて祟ってしまったら、その様がすぐにtwitterに拡散されてしまったせいで、危うくメンヘラの神認定されるところだった。twitterに私の祟りが拡散される様子をたまたま参拝客のスマホで目の当たりにして、祟るのをすぐにやめたから事なきを得たものの、正直言って危なかったと思う。ここ数年で一番のスリルだったように思う。危ない危ない。
 ……まあでも、メンヘラ属性の神として祀られている方が、私にとっては楽なのかもしれない。私という神様が全知全能であって欲しいというみんなの期待は、私にとっては結構なプレッシャーなのだ。


 神様としてこの神社に祀られるようになってから、もう三百年が経つ。
 もう三百年、されど三百年。
 三百年の間に、日本も随分と様変わりしてしまった。
 脱ぎ着する衣服は着物から洋服にとって代わった。和食だけでなく洋食も食べるようになったし、世界各国の料理も食べるようになった。鉄道網が整備され、新幹線が開通し、灰色のアスファルトの上には車と呼ばれる鉄の塊が走るようになった。人々の通信手段も文通から電話へと移り変わり、パソコン通信の時代を経てインターネットの時代が到来した。最近はスマートフォンという電子機器が一般庶民に普及してしまったせいか、神社の鳥居の前でぱしゃぱしゃ自撮りをして、そこで撮った画像をアプリで加工してSNSにアップロードをする女子がこの神社でもだいぶ増えてきている。どうせ自撮りをするなら永遠の十七歳の美貌を持つ私も一緒に撮ってくれよと思うけれど、無理矢理写真に映り込もうとすると、「心霊現象だ」とかなんとか言われて騒ぎになってしまうので、それもできないけれど……。でも私だって自撮りをしてみたいと思うこともままある。……誰か、神社にスマホを奉納してくれないかな、とも思うけれども、神社に奉納する物品は由緒のあるいわれがあるものでないと思っている人がどうにも多いらしく、スマホを奉納してくれるような人はまだいない。


 軍靴の足音が聞こえる時代があって、その後に焼け野原の時代があって、その後に飽食の時代がやってきた。町中は食べ物であふれ返り、繁華街は喧噪で満たされている。
 なんだかんだ言って、世界も平和になったと思う。戦争がどうのとか、戦犯がどうだとか、そんなことを私はとやかく言うつもりはない。だけど仕方がなかったとも思わない。それらに対して、専門書に書いてあるような難しい理屈をとなえようとも思わない。
 私は神だ。腐っても全知全能の神なのだ、全部は知らなくても大体のことは知っている。全てのことが理屈通りに上手くいくとは限らないし、一筋縄でいくとは限らないことくらい知っている。それに私は神なのだ。
 日本という極東の地で、幾多の人間が戦争という時代の渦に巻き込まれ、命を落としていく様をたくさん見てきた。その様子は書き起こしたくないほど凄惨だった。
 だから私は、できることなら、なるべくたくさんの人が幸せの中で生涯を終えて、そして愛する人に看取られて土に還って欲しいと思う。だけどそんな私のささやかな願いさえ、届かぬ時代だってあったのだ。
 できるだけ多くの人達が幸せの中に生きていて欲しい。そのために、つまりはみんなの幸せのために、全知全能の神になるために詰め込んだ私の知識がどこかの誰かを救うための手助けになれたらいいのになと思う。
 全知全能な私の知識でもって、どこかの誰かを救いたい。
 そんなことをぼんやりと頭に浮かべながら、参拝に来る仲睦まじいカップル達にたまにいちゃもんをつけながら、今日も私は雲の下に広がる世界を見守り続けている。


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