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 わなびとは地獄である。プロとして身を立てればすべて解決する。それがニンジンだ。頭から吊るされたそれだ。大義名分のもと、すべて肯定してしまえるんだ。たとえば、こんな駄文を書いてることや、毎日十時間くらいゲームをしていることを、問題ないと思えてしまうのだ。たいした問題じゃないのだ、重要なのは、プロになれるかどうかなのだ。公募のための小説が書けてないが、それも大した問題じゃない。大事なのはプロになれるかどうかだ。ラノベ作家になりたいのだ。漫画原作も手掛けたい。働いて、億の収入を得、中産階級になりたい。

 みじめな人生を過ごしてる。僕には文才などない、そのことも理解している。第一僕は低学歴だ。高卒なのだ。「小説家になろう」というサイトがある。ここにはラノベ書きの卵がたくさんいる。僕はそこで一年ほど活動していた。その経験から言うなら、ライトノベルと言えど志望者はみな大卒だ。高卒なんてほとんどいない。まぁ主観でしかないのだが、ともかく。
 僕は高卒だ。つまり、スタートからして違うのだ。ライトノベルは学歴社会、学歴社会なのだ。実際売れっ子は、マーチとかそこら辺出てるやつらが多い。高卒は僕が知る限り2chの●とかいうのが流出して炎上してたあの人くらいだ。

 お前らもどうせ大卒なのだろう。僕には分かっているんだ。僕はみじめな人間だ。豊かさのない偏狭な価値観の中で生きている。それもこれも、教養が無いせいだ。僕には何も無いんだ、みじめな人生なんだ。

 たまに図書館へ行って、ハイデガーやヴィトゲンシュタイン、フッサールやニーチェを読むも、まったく理解できず、結局みじめに退却する気持ちが、お前らに分かろうはずも無い。

 ラノベくらいなら僕にも書ける。その考えが間違いなのだ。教養ある人間がたわむれに書くもの、上流階級の手慰み、それがラノベなのだ。貧乏人につけ入る隙は無い。僕のような貧しい者は、労働者階級のまま、使われているしかないのだ。工場労働者の僕にとってこれからの競争相手は、移民と、機械だろうか。
 この世が憎いのだ。労働なんて奴隷のそれだ。頭のいい奴は働かずに富を増やしてる。僕にそんな知能は無いから、せめてラノベ作家になり、金持ちになりたいのだ。

 僕にはもう何も分からない。学校の勉強は、中学でついていけなくなった。根本的に頭が悪いのだ。そのくせ自尊心と被害者意識だけは人一倍、いや八倍くらいあるから、理想と現実のギャップはますます大きくなる。

 書くことに一貫性が無いとよく言われる。それもそうだ。頭が悪いからだ。筋の通った話というものを考えることができないし、話すこともできない。すぐにわけが分からなくなる。脳の容量が、致命的に人より劣っているのだ。だから品の無い文章しか書けない。

 この世が憎い。憎くてわけが分からなくなる。何が憎いのかすらもう分からない。どうして僕ばかり、こうもスペックが低いのだ。頭が悪いのだ。行動力が無いのだ。社交性が劣るのだ。顔が不細工なのだ。何も無いのだ。まず最初に思うのはそれらだ。すなわち嫉妬だ。僕はおよそ考えうる日本人の中でも、かなりみじめな方に位置しているだろう。今は住むところがあり、クーラーの効いた部屋でネットができているが、それもいつまで続くだろうか。親が死ねば、こうは行かないだろう。翌日から僕は家の無い人だ。段ボールで寝て、毎朝空き缶を集めることになるだろう。
 それについて、僕はもう諦めてる。つまり、いずれ来る未来として、すでに享受しているのだ。ホームレスとして生きるイメージトレーニングを日々している。

 なぜなら僕は、劣っているからだ。僕が出し抜ける相手などこの世にいるのだろうか?いるわけがない。幼いころから今日まで、いつだって僕は、みじめな非搾取者として生きてきた。いつだって負け犬だった。あらゆる課題に失敗し、あらゆる相手に敗北した。社会は僕から奪うためだけに存在している。そして僕は全敗したのだ。

 負け犬だ。せめて、ラノベ作家になりたい。これは執着だ。執着はすばらしい。執着さえ持てれば、希望のない人間でも前に進める。夢や理想、そんなものはくだらない。言ってみれば、燃料を必要とする通常の機械に等しい。動かすため、ポジティブなエネルギー、すなわち希望を必要とする。
 執着は違う。恋人に去られようと、家族が死のうと、国が亡ぼうと、執着だけは消えないのだ。執着は目的を必要としない。欠乏だけで作動し続ける。
 家族が死んで、葬式に出るとしよう。そんな日の朝も、きみは歯を磨くだろう? 朝食を食べるだろう? それと同じように、僕はラノベ作家を目指すのだ。
  
 僕はニートノベルにて「画力ロワイアル」という作品を連載している。コメント欄にて「執着があっても行動が伴わねば云々」といった書き込みがなされていたが、行動しているのである。

 ネットの有名人になり、オフパコしたいのだ。新都社は僕が有名になるための、足掛かりの一つに過ぎない。ここに愛着や未練、ましてや尊敬などといったものは一切無い。そういった美徳は、生活にゆとりのあるブルジョワ共ですればいい。僕は持たざる人間だ。くだらないことに払うものは持ち合わせていないのだ。それもこれも、この世界が悪い。

 お前の努力が足りぬのだ、ふ抜けたことを抜かすな、だと? ちがう、この世界が悪いのだ。才能による格差、それが僕を負け犬足らしめているのだ。日頃「※ただしイケメンに限る」とか言って、ミソジニズムを爆発させている諸君らは、僕に同意せざるを得ないはずだ。首を縦に振れ。そして明日から、才あるものを憎もうじゃないか。この世界が悪いのだ。僕を肯定しない世界に価値などない。僕を愛せ。僕を認めろ。僕から奪うな。奪うことを辞めろ。僕は多くを拒むが、僕からは何も奪うな。僕はただ安心して生きたいだけなのだ。僕の生活を乱すな。分かったか。

 ネットの有名人になり、オフパコしたいのだ。漫画や小説なんてくだらない。そんなもの、女性器に男根を挿入する愉悦に比べれば、吹けば飛ぶゴミ、あるいは塵芥に過ぎないのだ。まぁ童貞だから突っ込んだことないけど・・・。(^ω^;)
 くだらない創作は、僕にとって、階級上昇のための手段に過ぎない。僕は富裕層になり、必ずや多数の女を抱くのだ。

 ラノベ作家を目指しているが、本当は漫画家になりたかった。しかし、僕には絵の才能が無かった。だからラノベ作家を志した。しかし僕には文才も無かった。だから働いた。しかし僕には労働の才能も無かった。ゆえに仕事も辞めてしまった。しかし僕にはニートの才能が無かった。だから再び漫画を描いた。だが僕には絵の才能が(ry

 僕はもうおしまいだ。これは円環の理なのだ。
 ああ、高学歴が妬ましい。大学アピールしてる連中が憎い。
 これを読んでる連中も、ほとんど大卒なのだろう。僕の住処が奪われていく。魂を搾取されていく。この世は地獄だ。僕という一人を幽閉し無限の苦悩を見せる無間地獄だ。

 第三次世界大戦マダー?
 
2, 1

  

 ワナビとは麻薬と同じである。常習性があり、人をダメにする。デビューできる者もいるが、大半はダメ。尊い青春を無駄にする。これは麻薬依存症患者が骨をぼろぼろにすることと似ている。

 ワナビの社会的地位は低い。「要はごくつぶしでしょ?」と指をさされたり、殴られたりする。これにより居場所を無くしたワナビは、ますます依存を強くする。
 デビューできた暁には「漫画描いてなかったら犯罪者になってました(笑)」などと発言してやろう、と考えたり、ツイッターアカウントの自己紹介欄に「まん〇を売って生活してます」と書いてやろう、と考えたりする。
 色々と妄想し、浸り、気色の悪い笑みを浮かべる。
 これは、依存症患者が得ている多幸感に似ている。

 ワナビには、デビュー後の自分が見えている。専門とするジャンル、アプローチの方法、それにより得られる評価が、手に取るように分かるのだ。
 これは、依存症患者が訴える幻覚作用に酷似している。

 これは、一人の男の物語。
 上記のような、中毒症患者の物語だ。
 つまり僕の物語だ。
  
 ごくつぶしの朝は早い、こともある。ストレスでまったく眠れなかった場合がそれにあたる。各種アニメのサントラを聴きながら、現代漫画界のありように一石を投じるような問題作を描く自分を夢想してちんぽをこする。
「あぁぁあああああぁぁあぁぁあああああああああぁあああああああああ!!!」

 僕は週に二日、工場で働いてる。けしてニートでもごくつぶしでも無いのだ。

 漫画を描けない理由は色々あるが、今日はその一つについて語りたい。
 ヒロインについてだ。
 僕はヒロインが描けない。なぜなら、心情が分からないからだ。
 多くの場合ヒロインは主人公に惚れ、セックスする。セックスと戦いは似ている。戦いは相手がされたくないことをするが、セックスは相手がして欲しいことをするのだ。
「ああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁあぁぁぁぁあああぁあああ!!!」

 問題は、ヒロインが主人公に惚れるその「動機」なのだ。
 むずかしい問題なのだ。これを下手に設定すると、フェミ棒を持った読者からぼこぼこにされる。
 かと言って、「顔が良い」だとか「高学歴」だとか、そういう俗物的理由だと、そもそも作品に興味を持ってもらえない。

 「吊り橋効果」という言葉をご存じだろうか? 同じ危機を共有した相手に対して好意が芽生えるというあれである。
 これによって結ばれる漫画カップルというのは多いが、一部の読者から「それって相手のことが好きなんじゃなく、シチュエーションに燃えてるだけだよね。危機を共有する相手が別の異性でも良いってことだもんね?」と指摘される。言葉のトンカチでぼこぼこにされる。

 「童貞に恋愛なんか書けるわけない」
 残酷な言葉が僕の喉をつらぬき、膝の皿を叩き割った。

 ヒロインが主人公に惚れる理由。これをどう決めれば良いのか。

・やさしい → やさしさと恋愛感情は別。優しくされて惚れるなら、それは相手がイケメンだから。第一、下心が見え見え。セクハラ。

・救われた → これも別。第一、女性蔑視である。立場の低い異性を救い、恩を押し付け弱みを握る。偽善的行為である。

・幼馴染 → だから何? 世界には君とヒロインしかいないわけじゃないから。数いる男からゴキブリなんか選ばないって(笑) 第一、縁を切りたがってると思うよ?

・じゃあいっそ一目惚れ → キモオタに美少女は惚れません。キモオタ乙(笑)

・じゃあ理由なんてねぇよ → リアリティが無いだろwww。なんで描けないの? キモオタだから?

 どうすりゃいいのよ? ねぇ、どうすりゃいいのよ?
 書こうとしてもここが分からず、一貫性の無いヒロインしか作れない。都合を切り張りしたキメラの化物しか作れないのだ。
 
4, 3

  

 本講座ではまず「光」について論じ、次に、僕がなぜゴキブリなのかを明かしていく。以上が大まかな流れである。これを踏まえて精読して欲しい。

 漫画家が持つ「光」
 それは欠かせぬものだ。
 本講座でいう「光」とは、救いであり、絶望であり、教えであり、無駄であり、ときには笑いを誘うものだ。目の中に燃ゆるハイライトのことだ。
 抽象的概念であるが、もっとも近い表現は、「信念」であろうか? しかし、そんなに窮屈なものではない。信じ念じなければ維持できないような、大変なことでもない。しかし多分、努力によって勝ち取れるものでも無いのだ。漫画描きとしてじゃなく、人としてどうやってきたか、それが問われる部分だと思う。

 漫画家として間違いなくポジティブな要素なので、「光」と表現した。
 人を揺さぶる作品にはこれがある。逆に、クズのような作品、たとえば僕の描くようなものにはそれが無い。
 深海には謎が多い。しかし人は、深海というものがあるということを知っている。それと同じで、光が何であるか、僕には分からない。しかし実感しているのだ。
 自分の描く内容を信じられるかどうか、いわば自信、だろうか? 近いような気もするが、じゃあその自信をどうやれば得られるのかが知りたい。

 僕はこの世界を信じていない。漫画なんか描いたところで救われるとも思っていない。生活が苦しい中、一発逆転できそうなのが漫画だから、しこしことプロットを練り、作画担当を探している。
 しかし多分上手くいって、売れたとしても、僕はこの「光」をつかめないだろう。僕は闇の人間だ。先ほども言ったが、この世界を信じていない。自分も世界の一部である以上、世界を信用できない者が、どうして自分を信用できようか。
 そしてこの「光」をつかめない以上、そもそも面白い作品を描けない。デビューなどできようはずもない。

 地獄の袋小路に迷い込んだのだ。
「創作によって救われました」とか言うやつは多いが、僕には彼らが哀れに見える。彼らの手は震えている。救われた人間は、もう言い訳ができないのだ。
 あんなものが、救いであろうはずも無い。創作による救いだなんて、中二臭いメンヘラ小説家やらミュージシャンがいう自己陶酔に過ぎないのだ。
 創作による救いなど僕は信じていない。僕が何を書いたところで、世界は変わらないし、僕から搾取をし続ける。
 ゆえに僕の作品には「光」がない。希望などを描いても、しょせんは虚構であり、うわのそらで発した営業トークに過ぎないのだ。
 自分の作品に、世の中を変えるだけの力が無いことなど分かりきっている。夢は一つもかなわない。なのに描く理由などあろうか? 僕にはある。小銭のためだ。
5

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