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数字の話

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 ここに一、という漢字がある。実にシンプルなかたちだ。一本の棒。故に、一。表意文字の面目躍如たる表現であろう。
 そして、二、である。棒を一本足しただけのシンプル極まりない造形。最早その意味合いは一目瞭然、漢字文化圏の外側の人々に尋ねても、十中八九「こいつは二だ」と理解してもらえそうな優れものである。
 そして、そう、三、である。更に棒を一本加えた恍惚とするようなシンプルさ。機能美。もうこれは、天地が引っくり返っても、鏡に映してみても、はたまた両掌に半分ずつ書いて合わせて見ても(勘合貿易、という奴である)、間違いなくこれは「3」である。それ以外は有り得ない。
 そこで四だ。

 なんだこれ。
 そう、ここに来てまさかの法則崩壊である。棒を4本並べればいいのに、どういうわけだか箱の中の尺取虫のようなブツがそこに取って代わっている。キモっ。
 と、読者諸君も憤りと困惑、不快感を隠せないものと思うが、実は古代においては「4」も棒を4本並べた実に理に叶った、美しい表現方法によって表されていたのである。つまりこうだ。



 どうよこれ。
 完璧である。もう誰が見てもこれは「4」だ。ちょっとさっきのキモいなんかの虫と比較していただきたい。

四 亖

 これはもう、亖の圧勝である。ダブルスコア、テニスで言えば6-0からの6-0、錦織圭もびっくりの大虐殺だ。多分松岡修造も感極まって泣く。号泣必至だ。
 ちなみに先ほどからキモい虫、キモい虫と言ってきたこの「四」の字であるが、実際は口、歯、舌の象形であり、「息つく」という意味を表すらしい。つまり歯の隙間からシーシーいってる音の表現だ。音が同じであるから亖に取って代わったということである。何とも美しくない。
読者諸君はこれから四の字を目にするたびに、中年太りのおっさんが食後に爪楊枝を使って焼き鳥やら唐揚げやらジンギスカンやらの食べカスを飛ばす様を想像することだろう。まことに嘆かわしい限りである(※個人の感想です)。
 ちなみに五から先は些か美しくないロジックによって設定されたと考えられるのでここでは触れない。ちなみにローマ数字の4もはじめはIIIIであったが、後にⅣになったとされる。何故4からサボり出すのか。

「それはさあ」
 数字盤を睨みつけて唸っている私に、コーヒーカップを二つ抱えて戻ってきた妹尾京子が声をかけてきた。彼女と私は、同じゼミに所属している。言語学、それも古代の数字表記について、論文を書け、との命題を課された私、梶原夏美は、延々と続く数字の海の中に飲み込まれ、迷走の果てに0を忘れたおサルさん一歩手前にまで至っていた。カフェインはそんな海を叩き割って私の前に現れた救世主である。いや、救世主はジーザスだ。海は割れない。せいぜい本人の腹筋が割れているくらいだ。……いや、アレはアバラが浮いてるだけか。
「……くたばれ細マッチョめ!」
「なっちゃん大丈夫?」
 些か錯乱気味の私に、京子が優しい言葉を投げかける。いい子だ。だがこの優しさは、彼女がとっとと課題を済ませた余裕から来ているのを私は知っている。
「ところで京子、なんか言いかけなかった? さっき」
「あー、ええとね、線四回も引いたらメンドいじゃない?多分」
 メンドい?
 いやいや、そんなことはないだろう。たかが線4本だ。正確に言えば亖本である。これを面倒臭がっていては漢字など書けまい。だいたい四の字にしたって画数は一緒だ。しかも形がキモいし、こちらの方が余程面倒臭かろう。
「でもさあなっちゃん」
 京子はまだ食い下がってくる。しぶとい奴だ。「四」の世界から送り込まれた刺客なのだろうか。だが私は屈しない。おっさんの口臭になど。
「ほら、試しに直線四本引くとさあ、うっかり交差したり、線が重なっちゃったりすると思わない?」
 それはお前が不器用なだけだ、と言いたいのを堪えて、試しに書いてみる。やってみると、確かに京子の言うことにも一理あるように思えた。あまり線を離すと一と三、あるいは二と二になってしまうし、近づけるとなんかグニグニした謎の物体Xになってしまう。
「あはは、なっちゃん線プルプルしてる。眠いでしょ?」
 こちらが徹夜なのを知ってか知らずか、全力で煽ってくる京子。危ないところだったな。コーヒーに免じて見逃してやる。
「きっと昔の人も眠かったんだよ。コーヒーもないし」
「そんなアホな……でもまあ、皆が皆器用なわけじゃないもんなあ。しょうがない、許してやろう」
「何を?」
「四の字」
 そう、許してやろう。私は心の底からそう思った。古代人だって、疲れが溜まるときもあるだろう。そんなときにこの直線を4本引く作業が苦痛でなかったとは言い切れない。もしうっかり誤字ったら首が飛ぶかもしれないのだ。代わりに適当な文字で代用したとしても、誰がそれを責められよう。
 私は晴れ晴れとした気持ちで、そっと目を閉じた。心の中には自分自身の寛大さに対して、誇らしさが沸き起こっていた。

 ちなみに課題はブッチ切った。教授にも寛大さを期待したが、あいにく奴は狭量だった。グチグチ言いながら再提出に向けて資料と格闘する私を、亖百字詰めの原稿用紙が見つめていた。

 
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