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6月も悪い月

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 最近、また死にたくなっている。原因はよくわからない。
 猫のトイレの掃除とか、エサやりとかも面倒になってきている。なんとか続けているが。
「やらなきゃいけない、やって当然」という理屈のあれやこれやを、自分自身でもその通りだ、やらなきゃいけないと理解はするが、心が悲鳴を上げている。
 困ったなあ、と思う。

 自殺とか、全て終わらせるとかでも検索してしまうし、MBTIのINFPに関する記事なんかも読むと落ち込んでしまう。悪いことをあら探しすればいっぱいあって、家賃を払うために口座を確認したら残高が異様に減っていたりとか、なんだかうんざりすることばかりだ。
 30を越すと友達にも会わなくなってくるし、俺自身がこんなメンタルで面白い話もないので、「わざわざ会っても話すことないなあ」と遊びの誘いとかもしないし、今までやってきたワガママの自業自得で友人も減り、最近はすっかり会社と家を往復する人になっている。
 別にドンチャン騒ぎをしたいわけではないが、「幸福」というものがよくわからないので、とりあえずドンチャン騒ぎしたいなあ、と思ったりする。そしてたぶんそれをやっても満足できない。

 俺は俺のまま、あるがままに生きていたいという欲望があって、それ以外を幸福と感じることはない。だからこの社会で生きている限り、たとえば目覚まし時計が鳴ったら起きなきゃいけないとか、流しの排水溝はまめに掃除しないと夏場はヤバイとか、そういうことが積み重なるとストレスになる。かといって、それをどうにかできるわけじゃない。お手伝いさんがいるわけじゃないし。現実は変えられない。
 だから、こんなに現実は変えられないなら死にたいなあ、と思う。
 みんなは頑張ってこのゲームをプレイしてるみたいだけど、俺はいいや、という感じ。焼き肉のときに満腹になってみんなで残りは食べてね、というときの気持ち。俺はもういいや、という気分。

 自分が幸せを感じる時っていつだろう、と思う。
 小説の原稿を書いた時。満足できる仕上がりで脱稿したときの気分は最高だけれども、俺は小説で金を稼げないから、小説ばかり書いていれば幸福ということには物理的な面でならないし、また小説を書くために自分を発狂状態に持っていく必要があったり(だいたいはストレスで自動的に発狂するが)、そもそも書くこと自体、満足できない仕上がりだったときの苦しみというのは我慢ならないものがある。俺が書けないのはこの世界が俺を自由にさせないせいだと逆恨みして充血した目で世の中を睨み続ける。仮に小説を書くことが幸福だったとして、こんな狂人の存在を許可していいものかとも思う。

 ちょうどいい案配、ストレスなく創作を楽しむことはできないんですかと、それこそ俺が俺自身に問いたい。
 軽めのラブコメでみんなでキャッキャ、みたいなあかるい話をもう15年くらい書きたがっているけれども書けない。なかなか難しい。
 俺は創作物を自分の駒として扱うタイプじゃない。だから自分の話に自分と同系統、たとえば俺がINFPならINFP系統の苦労を抱えていないキャラクターというのは書けない。そしてその苦悩が存在してしまった時点で、それは「あかるい話」にはなり得ない。
 もし俺が自分と同類の存在しない話を書いたとしたら、それは「他人の話」だ。興味が湧かない。隣のクラスの陽キャがカラオケで盛り上がってるのを盗撮したとして楽しいか? そこからわかるのは「こいつってこんなやつだったんだ!」みたいな発展や発見じゃない。
 自分がいない、という絶望だけだ。
 俺は自分のことにしか興味がない、冷たいやつなんだなあ、と思う。
 だったら早く死にたいな、他人に迷惑をかけても仕方ない、とこういう結論になってしまう。
 どうループしても結論は同じだ。


 心中するやつの気持ちがわかった。
 というのも、俺は猫を飼っている。猫を飼っているのに自殺しようなんて無責任だ!という意見はわかるし、俺もそう思う。
 だったら連れて行くしかないな、とこないだふと思った。
 無責任だというなら、責任をとる形は、連れて行くことしかない。自分が生きる、というのはもう選択しないと決定された後なのだから。
 俺はとりあえず踏み止まっているけれども、死にたいやつに無責任なんて言葉をぶつけたらこういう気持ちになって心中しようとするのか、というのが凄くリアルに感じられた。こういうことかあ、って感じ。
 やっぱり正論なんて、なんの値打ちもないな、と思う。
 そんなものよりも、俺が死にたい気持ちを消してくれるような、魔法や必殺技のほうが値打ちがある。
 この世界に魔法や必殺技なんかない、としても。
 魔法や必殺技でしか救われないやつがいる。
 そいつらはどうすればいい?
 死ねばいいのか?



 この間、仕事でトラブル対応を単独でしていたんだけれども、その手際が我ながら悪かった。最後まで完遂したはしたんだが、備品の消耗が多かった。
 考え方はいくつかあって「緊急対応だったんだから備品を使いすぎるくらい仕方ない。それより一人でよく頑張った」という考え方もできる。それよりも「もう経験何年目なの? 仕事はその作業だけじゃないんだよ、あとで備品が足りなくなったら他の業務に影響が出る。モノの値段も上がってきているし、それくらい冷静に判断してもらえないと困る」という考え方もある。
 俺はそのトラブル対応をしているとき、ずっと耳の後ろで自分を責める声がした。
 ああ、やばいな、と思った。その仕事が辛いと言うよりも(不思議と俺はトラブル自体は、人間が関わるものでなければ苦ではない。機械が壊れるのは別につらくない)、自分がぶつけられてきた正論が形を変えて自分を襲ってきた。
 正論のない世界に行きたいな、と思った。それはやっぱりあの世しかない。
 死ねば何も考えなくて済む。

 困ったなあ、と思う。
 たとえばゴミの分別一つとっても、俺が前住んでいた自治体と今の自治体だと燃えるゴミと燃えないゴミの色が真逆だったりする。だから間違えそうになることがよくある。
 そうやって間違えて捨ててしまってから、自己嫌悪に駆られる。またやったのか、と。
 これくらい別にいいや、と思っていたのに、自分と違う意見、「それはよくない」と言われてしまうと、自分の世界の中に選択肢としてその意見が残留してしまう。理屈は正しいから、俺も次に同じミスをしたときに「自分が悪い」と責める。
 かといって、責めたところで俺の集中力では改善などしない。常にぼーっとうつ気味でフラついているんだから。本当いえば、まともに生活できるような状態じゃないのだ。
 特に何かものすごく辛い事象があるわけでもないのに。
 そういった小さな積み重ねで自分を責めて、潰れていく。
 なんてつまらない人生なんだろう?

 いっそ俺の親父のように、都合のいいことには全部耳を塞いで生きられたらいいのに。
 そうすべきだったのかもしれない。俺はあまりにも父親が憎かったから、そんな生き方をするやつは全員死ねばいいと思ってきた。
 だからいまさら、父親のようには生きられない。また、父親のように自分勝手なコンプライアンス違反がまかり通った時代でもない。
 結局、何をどう頑張っても潰れるだけ。その時間が短いか長いかの違いでしかない。
 仕事だって、今は昔の職場ほど辛くはない。むしろ環境的には俺が昔望んだくらいの仕事量ではある。給料は安く昇級もないが。
 状況は決して悪くはない。ただ、何かがもう限界だ。
 世界がものすごく小さく感じる。何を見ても何を感じても先が読めてる感覚。
 刺激が足りないのに、不快な刺激で一杯でそんなワクワクを探しにいく元気もない。
 自分が生きていることが他人にとってはどうでもいいことであり、また自分だって他人に寄り添って生きてなんかいない。
 何もかも思い通りになる世界が欲しかったが、思い通りにしたところで満足なんかできない。
 どんなに取り繕っても、自分が退屈していることを消せない。
 息苦しい退屈が止められない。
 何かしらの潔癖症とか完璧主義みたいな強迫観念があるっぽい気はするが。
 そういった潔癖や完璧さを求めてくるのは社会だろ。
 俺はもう自由になりたい。
 この世界に存在したくない。
 何をやっても「なんでこうしたの、こうすると思ったのに」と言われる。
 俺ももっと、うまくやりたかったよ。
 自分がなんでこうなのか、知らねぇよ。 
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